<4374>「所感(563)」

 エロ、セックス。

 

 →多分、好きを通り越して、男として終わるというよく分からない妄想、恐怖心で後半は動いてたんだなと思う。

 

 冷静になるともうそんな必要ないよ、多分もうそんな好きでもない。前はすごく好きだったけどね。全然歌ったり踊ったりしてる方がもう楽しいよ、となってる。

 

 

 結局あっちこっち出掛けて行って、変わり身してるようでも自分自身からは一切逃れられない。 

 

 だから、内へ内へ。

 

 どっかに逃げても逃げ道はないよ。

 

 

 どかんと疲れて、死んでいて、回復した後の世界で。

 

 生活するとか、働くとか、今までそんなに熱心に見つめていなかった世界が。

 

 急に健康的な世界に見え出した。

 

 生活できること、働けることの健康さ、清しさ。

 

 

 生物としては、若い頃からの蓄積がばぁーって膨らんできて、ピークを迎えて(大体真のピークは43歳頃なのかな、『43歳頂点論』という本に従うと)、そこから破綻して最後閉じに向かっていくはず。

 

 そいで、若いときに、危うい傾向はあっても若さゆえに距離を取れていたものが、段々距離が取れなくなってきていて、実存との対決が全面対決の様相を呈し始めている。山頂に近づいているってことなんだと思う。

 

 今回の凹みはなんとかなったけど、まだこっから何回もあるだろうね、山登りの途中で。

 

 実存が厳しいからといって、何で死ぬところとか発狂の場所まで追い込まれるんだろうと、死んでいった先人を見つめながらポカンとしていた人生だったけど、自分がその先人たちの年齢に近づいてくるとよく分かる。

 

 今まで中途半端だったものが全部、歳を重ねることによって良い意味でも悪い意味でも極まってくるんだ。

 

 ジリジリジリジリとした場所に、否応なく立たされている感覚。

 

 労働をやるにあたって緊張してとか不安でとか、段々実存の問題が大きくなってきたことによって別にどうでもよくなってきた。

 

 労働は合うものをする、それ以上でも以下でもないとなってきた。

 

 

 人間という、この生存と実存の絡み合いの生き物。

 

 人間の生きる難しさ。

 

 生存だけを考えて、それだけで進めたら楽なのにね。

 

 必ず実存に正面衝突するようにできている。

 

 養老さんが人生トントン拍子で進んでた若い頃、

 

 「早く棺桶に入ったら」

 

 と言われたエピソードを思い出す。

 

 やること果たすべきことだけ手早く済ましちゃっても、そこの中に人生はない。

 

 解こうとしても解けない、どうにもならない絡み、みたいなもののなかにあたしの核は、人生はある。

 

 本音を言えば避けて通りたい。

 

 でも避けられない。