<4372>「所感(562)」

 突っかかってくる人がいる。

 

 多分、その人のそれは性分だよってこともある。

 

 あたしに何ら人間としての手応えってものがないってのもおそらくある。

 

 それで、悪意の話のなかで書いたりもしてるけど、通常人のコミュニケーションって、軽くじゃれるように、悪意をぶつけ合ってお互いに軽く下がることで、仲良くなるって経過を辿ってる。

 

 私はそれをしない。

 

 それをしないから、あからさまに突っかかられる。

 

 慣れてくると、その突っかかりの表面的な内容ではなくて。

 

 大人であっても付き合ってて手応えがないのは結構さびしいんだなというのが様子で分かるようになる。

 

 

 それで、分からなかったときならいざ知らず。

 

 それが分かった後も、私は別に突っかかりに応えない。

 

 こうなると、私の対応は明確に悪意となる。

 

 というか、今までの「無意識的な悪意」から、「意識的な悪意」に移っただけ。

 

 悪意自体は私の中でずっと貫かれている。

 

 そんなものに応える価値を感じていないからだ。

 

 つまり人間に悪意を軽くジャブのようにぶつけ合って絡みを深くしていこうという思いが私の中のどこを探してもないから、無視をしている。

 

 そりゃ、嫌われる。

 

 無意識に悪意を振りまいていたときは、自分だけが侵襲されているように思っていて、ひとり憤っていたけれど、実情はそうではなかった。

 

 こちらからも、あなたの突っかかりには応えません、つまり人間関係として深くなる意思がありませんという悪意をぶつけ続けていたんだ。

 

 何故こういう場面で上手く行かないんだ、というのが、自身のどろんとした悪意の塊の認知によって解けるようになってきて、ちょっと楽になってきた。

 

 あんま最初から、社会的には見れたもんじゃないってのがあるんだね、自身。

 

 悪意が多いし、大きい。