<4369>「所感(561)」

 俺はもうダメだ。

 

 佐多祐太郎は死にました。

 

 糸が切れた。

 

 もうどうでもいいという感覚。

 

 どこに向かって歩いていたらいいのか分からないという感覚。

 

 底の底にいる。

 

 死んだように眠っている。仕事もまた休んだ。

 

 神経系とか怒りでなんとか自分の命を運んできただけだったんだ。

 

 いろいろなものが解けて、分かるようになって、幼少期のさびしさに初めて正面からぶつかっているような感覚。

 

 強迫神経とか怒りとかで覆ってきたのが取れて、もうごまかしが効かなくなっている。

 

 

 本音が見えないと言われる問題。

 

 言っても良いよ、でも本音なんて、こんなところに生きていたくないしかないよ。

 

 やりたいことも為したいことも何もない、あなたに興味もない、とかになるよ。

 

 そんなんでやっていける訳ないから社会性を作って演技するのに。

 

 もうどこに行ったらいいかも分からない。

 

 

 美術などと同様、本によっても、私は計り知れない力を得てきた。

 

 でももう今は、自分の言葉で説明することの肩代わりをしてもらうとか。

 

 言い訳することとかにしか使っていない。

 

 ありがとうと言って別れる、ここからはいくら足りなくても、自分の頭で整理させて。

 

 

 「人と一緒に居たい」が多数派の基準だから。

 

 人が期待する本音ってのは、俺だってさびしいとか一緒に居たいとか。

 

 もっと話したいよ、なのであって。

 

 本音を言ってくれと言われて、私は本当は生きていたくないし関わり合いを持ちたくないし、誰にも関心がないだった場合、それをよく言ってくれたっつって受け止めるのかな、受け止めねえだろろうな。

 

 下向いて、気まずそうにして、今の本音を言ってくれってのはナシナシ、なかったことにしてって黙っちゃうだけだろ、と思うから。

 

 まだ社会的装いをしていて、本心が見えなくて不気味だと思われている方が数倍マシなんだよな、と思ってしまう。

 

 ってこれ人生で何回やるんだろうか。

 

 死んだな、と思ったときは、本当に死ぬ訳にはいかないから、何もかも放り出してずっと寝ていようね。

 

 ずっと寝ていたら少しだけ回復してきた。

 

 佐多祐太郎は生きていました。