<4368>「『萩原朔太郎詩集』」

 

 散文詩に、いたく注意が向くようになってきた。

 

 『虚無の歌』

→自分から全てのものが剥がれ落ち、ビールと雲と、そういう味覚的視覚的嬉しさの世界のなかだけに、朔太郎からすれば「還ってくる」という感覚。

 終着駅で、有るということ、存在するということだけを確認し、それは楽しいことだ、と朔太郎が言うときの、嘘のなさ。

 無限にいろいろなものを経過してきたけれど、私はずっとここに居たんだ、という感覚。

 

 『主よ。休息をあたへ給へ!』

→全てのものが沈黙し、寝静まっている頃、水だけは、休まず、今もそこらを疾走しているこの悲しさが分かるか、という。

 休ませてくれ、という、疲れ切った魂の叫びのような言葉。

 

 『神々の生活』

→全能の神に、彼はいつも報いられてきた。

 何故なら、彼が求めることは何でもなく、また、それ以上の全能など、想像することすらしなかったから。

 もっと、もっととなっているとき、足りないから不幸なのではなく、もっと、もっととしか思えなくなっていることが不幸なのだという、人間と神との間における機微のような話。

 

 『死なない蛸』

→全ての者から忘れ去られ、食うものもなく、ついには自己を食い始め、ついにはその原型がなくなっても、その蛸は死なず、じっと水槽の底で、眼に見えない執念の化け物となって生きているのだ、という。

 なんとも気持ちの悪い、しかし、生きる者としての意地とか、存在するということの不気味さ、とてつもなさを凝縮したような話。

 気持ち悪いけど、一番好きになった、今回筆写してみて。