『萩原朔太郎詩集 (岩波文庫 緑 62-1)』萩原 朔太郎
— 佐多 祐太郎(1992-2092) (@soudaroune) 2026年8月3日
全編筆写終。もう3周目か、4周目か。朔太郎のこの詩集ばかりに何故か留まるようになった。
表現の渇き、立体感など、朔太郎以外であまり感じることのできないものが多くある。
この人、どんだけ独りなん...#読書メーターhttps://t.co/1K0l3UEvdp
散文詩に、いたく注意が向くようになってきた。
『虚無の歌』
→自分から全てのものが剥がれ落ち、ビールと雲と、そういう味覚的視覚的嬉しさの世界のなかだけに、朔太郎からすれば「還ってくる」という感覚。
終着駅で、有るということ、存在するということだけを確認し、それは楽しいことだ、と朔太郎が言うときの、嘘のなさ。
無限にいろいろなものを経過してきたけれど、私はずっとここに居たんだ、という感覚。
『主よ。休息をあたへ給へ!』
→全てのものが沈黙し、寝静まっている頃、水だけは、休まず、今もそこらを疾走しているこの悲しさが分かるか、という。
休ませてくれ、という、疲れ切った魂の叫びのような言葉。
『神々の生活』
→全能の神に、彼はいつも報いられてきた。
何故なら、彼が求めることは何でもなく、また、それ以上の全能など、想像することすらしなかったから。
もっと、もっととなっているとき、足りないから不幸なのではなく、もっと、もっととしか思えなくなっていることが不幸なのだという、人間と神との間における機微のような話。
『死なない蛸』
→全ての者から忘れ去られ、食うものもなく、ついには自己を食い始め、ついにはその原型がなくなっても、その蛸は死なず、じっと水槽の底で、眼に見えない執念の化け物となって生きているのだ、という。
なんとも気持ちの悪い、しかし、生きる者としての意地とか、存在するということの不気味さ、とてつもなさを凝縮したような話。
気持ち悪いけど、一番好きになった、今回筆写してみて。