詩作の方法論。
自分だけでは分からないんだけど、他の人のを聞いていると分かってき出すってことがあり。
何か美しい瞬間、感慨とか、気がついたものを書き留めたいとか。
美しく表現したいって欲望では主に動いていない。
脳内が宇宙であるとしたら、そのなかに言葉が宇宙ゴミのように無数に溜まっていく。
それを、最終的には絶対に意思で、つまり結局は脳で書いてはいるんだろうけど。
持っているイメージとしては、その宇宙ゴミがどう出るか、どの順番どのまとまりとして出るかの全権を、手に委任してしまっているという感じ。
だから、書き終えて、私は何を書いたのかについて憶えていないことが常。
美しい瞬間とか感慨を書き留めたい訳ではなく、宇宙ゴミが流れ出てるという感覚なのであまりライターズブロックもない。
多産。
全然ないという訳ではないが。
なので、英語とか中国語とかの、勉強している外国語に関しては、溜まらない訳ではないけど、やはり母語の日本語よりは宇宙ゴミが圧倒的に少ないので詩が出てこないって感覚。
そういえば随分前に中国語入力ゲットしてたのに全然使ってなかったの今さら思い出した。
— 佐多 祐太郎(1992-2092) (@soudaroune) 2026年7月31日
段々中国語も脳内に宇宙ゴミのように溜まってきたので詩がそろそろ中国語でも書けそうかも。
でも最近段々溜まってきてる感覚は有。
世界は美しいとか残酷だってことを表現したい寄りの人間ではなさそうね。
人間讃歌とか。
そういう方法の人間。
吉本さんとか吉増さんの教え、つまり頭ではなく手で書けよって話に従って、それでそれが自分にそのままスッとハマったので、これでやってるよという感じ。
生きてればまたちょっと方法も変わるかも分からんけどね。