<4361>「所感(557)」

 若年期の私なりの定義。

 

 →自分も他者も、自分の中身、要素を変更可能だと思っていて、寄ってたかってグニャグニャと変更しにかかる時期。

 

 かな。

 

 例えば私が自分のことを異常生命だと把握し出したのは小学校低学年ぐらいのことだけど。

 

 それが変更不可能な私の核なのか、枝葉なのかは自分にも、他人にもその段階ではまだ定かではない。

 

 だからぎゅあーっと皆で揉んで潰して変更せしめようとする。

 

 実際まあそれで、変更が起こる箇所もある。

 

 そしたらまあそれは枝葉だったんだねって後から分かるって感じ。

 

 んで若年期の終わりってのは、そうやって揉んだり潰したりして変更しにかかっても、結局変えられなかったその人間の核ってのが、動かしがたいものとして誰の目にも明らかな形で屹立してくるタイミングを指すのではなかろうか。

 

 例えば私の異常生命

 

(曰く「私は存在しない人である」「居たくない」等)

 

 は、結局異常のまま揺らがなかった。

 

 

 そうして自分の核が出てくると、ここからは始まりと、終わりの両方が始まる。

 

 始まり

 

 →皆が、私の持っている核というのは動かせないものであることを了解して、距離を取り出すので、私固有の動きがスムーズになるという意味において、人間の本当の始まりに着く。

 

 終わりの始まり

 

 →皆が核に対して距離を取り出すので、核が暴走したとしても、もう誰も止めないし止められないという意味において、終わりが始まっている。

 

 ここから先の、若年期でなくなった人生は、そうするととても楽しく、異様におそろしい境へ入ることとなることが予想される。

 

 私の生はどうなるんでしょうね。

 

 もう既にこわいですね。