<4355>「所感(553)」

 

 人間にはやはり魂というものがあるのだなと思わされる。

 

 自分のなかの重たい毒、蓋をしていた毒を開いたら、思いっきり高熱が出て、仕事を休んでしまった。

 

 なかったことにしたものは、どこかへ行ったわけじゃない。

 

 それ相応の重みとして、発散されるまではずっと残り続けているものなんだ。

 

 

 私の異常なエネルギーの大きさは、葛藤の大きさなんだな。

 

 もう、親密な関係性も特別な相手もこりごりで、二度とそういう光景を見たくないし、内部にも入りたくない。

 

 けど、社会に居るときは、そういうものを当然望むかのようなふりをして生き延びてる。

 

 私の内部で、この矛盾がギリギリギリギリ音を立ててるんだ。

 

 私が悪魔と呼んでたのはこれか。

 

 この矛盾の大きさ、この葛藤の大きさだったか。

 

 性欲が大きく強くなるのもおんなじこと。

 

 結婚や子どもを拒否してるから。

 

 普通に結婚して、子どもが欲しくてって自然に考えられる人は、別に禁止がないから性欲が異常に膨らむってことはない。

 

 私に好意を向けてくる人に、私はいつも呑み込まれるって感じていることを、どこかでちょくちょく書いていた。

 

 それと同時に、今までは気がつかなかったけど、特別な関係性を結ぶこと、その2人で居ることに幸せを感じていて、迷いがない人のことを、死ぬほど憎んでいたんだろうな。

 

 自分の1番の対極だから。

 

 心底では憎くてしょうがない。

 

 特別な関係性を結べるのが幸せだと思っている、それも、そんなことに何も感じることのできない「この私と」それが可能だと思っている人が、憎くて憎くて仕方なかったんだと思う。

 

 だからはっきりと、そんな女の人なんて居ないみたいに無視をし続けた。

 

 ピュアだとかうぶなんだとよく勘違いされるけど、ここまでくればもうはっきりとした嫌悪と悪意だったんだってことがよく分かる。

 

 

 今後生きていけるかどうかのキーは、自己開示にあるのかな。

 

 文章沢山書いてるからいいじゃん、ではなく、人とのコミュニケーションにおける自己開示ね。

 

 父親は、酒に酔い、何かを言えばそこに突っかかってくる人だったから、もうこの人とコミュニケーションを取ることは諦めようと思った。中学生ぐらいかな。

 

 母親は、私が不安を打ち明けても、気のせい、考えすぎ、何言ってるか分からない、だったし。

 

 羨ましいものを持ってる人でも、その人にはその人の苦しみがありますよねって話が全く伝わらない人だったので(恵まれてる人の苦しみなんて大したことないって姿勢)。

 

 ああ、俺はこの人たちにまともに話しても何の意味もないな、と思ったのだった。

 

 中学生辺りから自己開示をぱったりとやめて、辞め続けて、今は、何でそんなに周りの人が私の自己開示を必要としているのかが完全に分からなくなった。

 

 雑談が大事とか、コミュニケーションが大事とか言われても。

 

 話しても無駄じゃんって意識がやっぱり底の方にびっしりとこびりついている。

 

 

 それから、こういうことを書いている人をちらほら見かけて、ああ私も一緒だなと思ったんだけど、私が本当に自己開示したとして、それが社会にそのまま受け入れられるものだとは到底思えないというのがある。

 

 「親密な関係性や特別な関係性に何も価値を感じておらず、むしろ醜いものの源泉だと思っており、そういう関係を私と築けると思って近づいてくる人のことが心底から憎くてしょうがなく、もう、二度と結婚生活とか家族とかの内側に入りたくなく、子どもを通してまた学校生活を間接的に体験するかと思うと吐き気がする」

 

 っていう人間が、本当に自己を曝け出すべきかっていうのには、いつも疑問が残る。

 

 気味が悪くても、社会性の仮面を被った偽りの自己を提示している方が、遥かにマシではないかという疑問が、どこまでも残る。

 

 本当の自分や本音なんてとても見れたものではない。