やってこうぜ。
深夜のテンション。
楽しかったはずのものが、もう慣れて褪せて何にも楽しくなくなってしまったり。
現実逃避に使えていたはずのものが、もう刺激が薄くなりすぎてしまって、日常と地続き程度のものでしかなくなってしまって。
自分という、逃げられない身体。
この身体の重みをそのまま、どこにも逸らすことなく受け止めなければならない状況に陥ったとき。
辛すぎて、全てを周りのせいにして、何もかもを投げ出したくなる。
前にもどこかで似たようなことを書いたけど、何かを積み重ねられるという事実は、自分の強さだけでなく、弱さをも、同時に作っていることを意味する。
積み重ねは、自分の土台を日々分厚くし。
積み重ねは、私が背負わねばならない荷物を日々増やしている。
積み重ねにより、私は今日も立って居られ。
積み重ねにより、私はその重みに潰されそうになる。
時々、その重みの苦しみの方が大きく感じられると。
周囲全てに対して当たりたくなる。
そういう弱さが出てくる。
でも、周りは関係ないんだ。
本当に、悲しいぐらいに関係がない。
清々しいぐらいに関係がない。
何故なら、お前は、一般社会においては何の意味もないことに、命を懸けるという生き方を選択し、それを実行しているからなんだ。
無駄に追い込まれているだけで、他者のせいにできる要素がひとつもない。
ただのひとつも。
お前が、お前の命ひとつ背負う、それは時々とても重たく、苦しいことだ、ということから、決して目を背けるな。
お前は、たった一人分のお前の命を背負うことだけで、こんなにも苦しいんだ。
その事実から目を逸らすな。
お前は、先達の美意識によって生かされてきて。
それで、自分も美意識を持って生きている。
美学というのは、徹底的に、意味とか役割とかいうものとは関係がない。
何にもないがそれでも、という生き方しかできないのが、美学に生きる人間だ。
だから、この重さには、他者の責任はひとつも混じっていない。
事実としてそうだし、また、実際にそう宣言してみせるのが、自分の命を、自分で引き受けるということに繋がる。
少なくも、私の生き方の核にまつわることに関しては、他者に当たるべき何ものをも持ち合わせていない。
他者には、礼を持って接するだけ。
私は私の道を、行かせてもらいますと、そう静かに挨拶するだけ。
さあ、行こう。
やっていこう。
潰されそうな夜に、改めてそう思う。
覚悟する。
お前の居る場所はここ以外にはない。