<4323>「所感(537)」

 人を嫌いになることってまあ無くて。

 

 それは私という人間が立派だからとか、人間のことがすごく好きだからとか言うことではなく。

 

 ただただ過剰に絡まないでいてくれれば、大概の人に対しては満点を出せるぐらい、ひとりの空間が心地良いだけ。

 

 だから、あの人良い人だよと請け合って、後でそんなことないじゃんって怒られる場合。

 

 良い人=ほっといてくれる人っていう私の認識と、他者の良い人観とが見事にぶつかっていることが多い。

 

 ほっといてくれればそれで百点なのだから、私の他者に対する評価は激甘だと、言えば言えないこともない。

 

 ただ、反面、過干渉な人間だけは、生涯許さないと思ってしまうぐらいには嫌いになるという、極端な面がある。

 

 私の領域、それも物理的領域というよりは精神的領域に、ズケズケと踏み込んできて、お前はあれをしたらいいこれをしたらいい何故そうしない、そうするべきだ、とやってくる人間は、死ぬまで、いや、死んだ後も絶対に許さない、とすら思う。

 

 大きな大きな甘さの円、しかしその核に、小さいが特大の怒りを抱えているようなのが私の精神の構造だ。

 

 だから、優しくて、仏みたいで、何でも許してくれそうでって評価は、核にあるものを無視すれば、確かに間違いではない。

 

 ただ、その核、私的領域に遠慮なく入ってくる人間だけは、絶対に、絶対に許さない。

 

 俺の領域に入るなよ、と思う。

 

 もう死んだが、私がプラプラしてる頃、親戚のひとり、前までは特に大きく意識したこともなかった親戚のひとりが、私がプラプラしていることに対する文句を、私に直接言えばいいのに、母親に延々と言っていることを知ったことがあった。

 

 俺はそのとき、こいつを死んでも許さないぞと思った。

 

 内的領域に踏み込んでなんとも思わないその無神経さと、自分の人生に向き合って生きていないその間抜けさが、死んでも許せないのだ。

 

 順番から言えば、先に死ぬのはお前だぞ。

 

 お前は、お前の人生に集中して、総括に入れよ。

 

 死ぬのなんてすぐだぞ。

 

 と思っていたら案の定すぐ死んだ。

 

 だから言わんこっちゃない。

 

 でも俺はお前が死んでもまだお前を許さないぞ、と思う。

 

 お前が相手にしているのは人間じゃない。

 

 踏み込んじゃいけないところに踏み込んだな、お前は、と思う。