人を嫌いになることってまあ無くて。
それは私という人間が立派だからとか、人間のことがすごく好きだからとか言うことではなく。
ただただ過剰に絡まないでいてくれれば、大概の人に対しては満点を出せるぐらい、ひとりの空間が心地良いだけ。
だから、あの人良い人だよと請け合って、後でそんなことないじゃんって怒られる場合。
良い人=ほっといてくれる人っていう私の認識と、他者の良い人観とが見事にぶつかっていることが多い。
ほっといてくれればそれで百点なのだから、私の他者に対する評価は激甘だと、言えば言えないこともない。
ただ、反面、過干渉な人間だけは、生涯許さないと思ってしまうぐらいには嫌いになるという、極端な面がある。
私の領域、それも物理的領域というよりは精神的領域に、ズケズケと踏み込んできて、お前はあれをしたらいいこれをしたらいい何故そうしない、そうするべきだ、とやってくる人間は、死ぬまで、いや、死んだ後も絶対に許さない、とすら思う。
大きな大きな甘さの円、しかしその核に、小さいが特大の怒りを抱えているようなのが私の精神の構造だ。
だから、優しくて、仏みたいで、何でも許してくれそうでって評価は、核にあるものを無視すれば、確かに間違いではない。
ただ、その核、私的領域に遠慮なく入ってくる人間だけは、絶対に、絶対に許さない。
俺の領域に入るなよ、と思う。
もう死んだが、私がプラプラしてる頃、親戚のひとり、前までは特に大きく意識したこともなかった親戚のひとりが、私がプラプラしていることに対する文句を、私に直接言えばいいのに、母親に延々と言っていることを知ったことがあった。
俺はそのとき、こいつを死んでも許さないぞと思った。
内的領域に踏み込んでなんとも思わないその無神経さと、自分の人生に向き合って生きていないその間抜けさが、死んでも許せないのだ。
順番から言えば、先に死ぬのはお前だぞ。
お前は、お前の人生に集中して、総括に入れよ。
死ぬのなんてすぐだぞ。
と思っていたら案の定すぐ死んだ。
だから言わんこっちゃない。
でも俺はお前が死んでもまだお前を許さないぞ、と思う。
お前が相手にしているのは人間じゃない。
踏み込んじゃいけないところに踏み込んだな、お前は、と思う。