<4300>「所感(526)」

 アーティストという名前に関して勝手なイメージが今まではあって。

 

 つまり表現によって金を稼げる人であるとか、名が売れている人とかであると考えていた。

 

 アーティストをそういうものだと考えているときは、同じ表現場に自分もいることにどこか負い目というか、申し訳なさがあって、早く自分も金を稼げたり有名にならなければ、みたいな焦りがあったが。

 

 アーティストって、別にそういうことじゃなくて、表現場を呼吸作用の一環として必要とする人間なんだということに気がつくと、気後れも申し訳なさも段々と消えてなくなるようになってきた。

 

 まだ焦っているときは、アーティストは金を稼ぐとか売れるとかじゃないんだっていう話が、テイの良い慰めや逆張りにしか見えていなかった。

 

 実は、金を稼げるとか有名であるとかはアーティストの主要な部分ではなく周りのフチの、付加的な部分で。

 

 一般社会とは異なった領域を設定して、そこで初めてできる呼吸があることを、都度の表現によって確認しながら生きているのがアーティストなのだ。

 

 この解脱は大きい。

 

 有名になることは必須の要素ではないし、有名になったからといって表現の必要がなくなる訳でもない。

 

 

 普段物を書く前に起こるちょっとしたブロック、小停止は。

 

 自分のなかで使い古されている、慣れた表現しか頭の中に浮かんでこないときに起こる。

 

 よく見た並びをまた書くのかと思うと嫌になる。かといって別の表現、変化への扉は未だ開かれていない、という状況は、わりあいに苦痛である。

 

 見飽きた表現でも、引っ張り出して使うよりほかないのがわかるから、辛いのだ。

 

 まあ淡々とやりますけどもね。

 

 突然の変化を招び込むためには毎日書いて、書いて、書いていくしかない。