ZAZYさんのライブ行くよ初めて行くよ。
流行っているお笑いファン各位。
— ZAZY (@ZAZY06) 2026年6月26日
並びにお笑い関係者各位。
この文章がZAZYのほぼ全てです。
ZAZYが、一万人規模のライブを目指す理由と、その途中経過です。
少し長いですが読んで頂けると幸いです。…
ひとりでやっている人が好きだ。
全部の責任をひとりで引き受ける強さと。
何か人と一緒にやろうと思ったけど、どうしても人と一緒では上手く行かなかった不器用さと。
絶対に他人に妥協して何かをすることができないという強烈な自我と。
そういうものの、全てが好きだ。
歌も、まあサポートメンバーだバンド編成だっていう形はあるけれども。
基本的には、自分の名前で、自分の身ひとつでやっている人にどうしても惹かれる。
折坂さんしかり(10月ライブ行きます!)、最近だと眞名子新さん(絶対何かしらのライブ行きたい!)しかり。
ZAZYさんはポストのなかで、漫才に比べてピン芸は応援されにくいって話をしてた。
私はへそ曲がりだから、応援されない人、応援されにくい人にこそ、逆に強烈に惹かれる。
ここからはまあ、私個人の分析というか、そんな大層なものでもないけど。
応援されやすい人って、例えば応援を必要としてたり、他者の応援によってわかりやすく出力が上がったりする。
あるいは、こういうキャラクター、人間ですという分かりやすい打ち出しを決めていて、それを崩さない、やりきっていたりする。
これは例えばアイドルとかスターとかがそうだ。
また、当人は応援はそんなに気にしていないけど、なんだかすくすくのびていってて、見ていて気持ちの良い人も応援されやすい。
反対に、応援されにくい人って。
まあ1個はシンプル嫌な人。
でも、そういう人も、そういう嫌なやつが好きなんだっていうファンもいるから結局少しは応援される。
ヒール「役」というかで。
本当に応援されない人って。
別に嫌なやつじゃなくても。
そもそも応援が原動力ではなかったり、応援されなくても普通に淡々とやってたりする。
そして、それだけだったらまだ応援される余地はあるけど。
例えばその人がいる、その周りに他者の輪があって視線が皆そのひとに集まってるという状況があるとする。
すると、応援されにくい人って、その輪より一段二段手前にもうひとつ小さい輪があって、それは何の輪かっていうと、その人がその人自身に向けている内向きの目の輪なんだ。
まずその人のことをその人自身が内的な視線で見ちゃってて、他者の視線がその人に到達するのを遮っちゃってるから、応援されない。
もう自分自身が1番手前に陣取って自分のことを見ちゃってる。
そうすると、視線を向けるのも、言葉を向けるのも、何をするにしても全部その人に最初から待たれちゃってる気がして投げ掛けを行いにくい、だから応援しにくい。
ああ、その文句、問答、もう自分との間で全部済んでますよ、というような。
私は自分のそういう応援されにくい性質を考えて。
それの行き切った人として、自分をうんと延長した先に居る人として、架空のロールモデル、長嶋さんという人を設定して、たまにその長嶋さんと対話するようにしている。
実在した野球のスーパースターの長嶋さんとは違い、私の架空のロールモデルの長嶋さんは。
もう、自分の競技を極めてしまっていて、何にも興味がなくなっていて、しかし何故かは本人にも分からないがその競技を未だに続けてしまっている人で。
競技の真髄について訊こうとしても、本人はもう飽きてるからフンとかスンとかよく分からない曖昧なことを言ってるだけだし。
褒めても意地悪を言っても、そういうものを全く行動原理に組み込んでないからアハハと笑うだけだし。
競技に出れば、誰も応援してなくても当たり前に勝つ、みたいな人で。
それで勝っても別に満足している風もない。
人間の達成の喜びに対する、完璧な嫌がらせみたいな人が長嶋さんだ。
飽きてるのに出てきて、ただ黙って勝って去ってゆく。
そういう、極まりきった人が、長嶋さんだ。
こういう、応援されにくい自分みたいなものを、延長していったその極北に位置するのが、長嶋さんだ。
何故こんな架空のロールモデルを設定して対話を行うのか。
それは、自分が全てを手にしたときは、もう既に当初の熱意やエネルギーや切磋琢磨した仲間は皆消えていて、全てがつまらなくなった後なのでは、という妄想に近い恐怖感を常日頃抱えているからだ。
だから長嶋さんに問い掛けたい。
あなたが居る場所ってどんな場所なんですか。
こわくないですか。
なんで続けてるんですか。
色々訊きたい。
長嶋さんは、自分の未来だと思っている。
この人が、それでもなお倒れない、その底の底にある原動力って何だろう。
全てに飽き、全てが味気なく、勝っても、得ても、何にもない人間の。
原動力って、何なんだろう。
もっといえば、求道って、創造行為って、何なんだろう。
そういう、自分のなかで抱えている、訳の分からない謎のようなものを、長嶋さんと話したいのだ。
自分がそうだからだろうけど、応援されにくい、応援されない人が気になって気になってしょうがない。
皆が褒めるのをやめちゃうのは、普通の人は褒められたら調子に乗ったり、嬉しくて饒舌になったりするのに、あたしにはそれが全くないからなんだよ。
普通はそうやって、影で悪口言ってようが、面と向かっては褒め合ってお互い調子に乗らせて、気持ち良くやっていくのが当たり前なんだよ。
でも私は、周りの他者に意地悪をしている訳ではなくて。
人が褒めてるとか、けなしてるとかによって、自分の行動原理、求道の道筋を変更するという、回路自体がごっそりと抜け落ちているという感じだ。
典型的な応援されない人間。だって調子に乗らないんだもの。
応援されないのはちょっとさびしいけど、行動原理のなかに組み込まれていない以上、底の底では必要ないと思っている。
そういう人間は、長嶋さんみたいな人と対話しながら、応援されない生というものの在り方を考えていくしかない。
応援されない人間がすごく気になる。