<4284>「所感(519)」

 遊びっていうのは。

 

 最高な気分だ、という感じと。

 

 最悪な気分だ、という感じと。

 

 必ずその両方を含んでいて、そのどちらをも受け取ることに価値がある。

 

 最高な気分だ、というのを潜ることにより、私はまだ最高な体験から弾かれているという思いが、徐々に徐々に昇華され、どこかの地点でその爪弾き感は消え、人間が落ち着く。

 

 最悪な気分だ、というのを潜ることにより、真面目に繋がる契機が、そこで初めて開かれる。

 

 遊びが、放蕩が、人生のなかに全くなければその方が良かったのかもしれないけど、私の場合は欲望が大きすぎて無理だった。

 

 真面目であるふりを、ずっと若いときにすることもできたのかもしれないけど、それはどこまでもフリでしかない。

 

 遊びを嫌というほど、もう私は頭がおかしいんじゃないかというほどやると。

 

 お互いの持てるものを、全然関係のない人間同士で行使し合っていることに、段々疲れてくる。

 

 こんなにも気持ちが良いのに、この行いは、どこにも、誰にも繋がっていない、というような。

 

 こんなに最高なのに、それは同時に始まった先からサラサラと溶けていくものでもあり、それが、こんなにも大きな虚無感を作るのか、というような。

 

 ちょっと前にも書いたけど、これに私はフィナーレを設けている。

 

 その過程で、やっておくべきことがまだ、2、3ある。

 

 もうだいぶ自分のなかではもういい、もういいよ感が強くなってはいるけれども、その過程と、フィナーレは、死んでも踏む。

 

 人間として、もうひとつ、ふたつ、先へ出るため。

 

 真面目じゃないんですよという反発につぐ反発を経て、本当は真面目になりたいんだ、という自分の思いを、ちゃんと掴まえるため。