<4275>「所感(515)」

 自分の底の底の執念は、普段自分自身でも見えていないという話を前に書いて。

 

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 それをまた追確認したことが今週また1件あった。

 

 今の仕事は、忙しいときは忙しいけれど、性質上とでも言うか、何にもないときに、しかし何かがあるといけないから、ただひたすら本部で待っていなきゃいけない時間が発生することがある。

 

 そういうとき、別に携帯を見ていたって怒られないけれど、あんまり長く触っているのも如何なものだろうか、というような感じで。

 

 んでも寝てるのもおかしいし、運動してるのも悪目立ちするしってんで、段々と待機の時間が長くなってきて、ジリジリジリジリとその時間が私のなかを焼き始めるとき。

 

 私は無意識にメモ用の紙片に手を伸ばして、持っていたボールペンで詩を書いていた。

 

 ほう・・・。

 

 これには驚いた。

 

 

 詩なんて、って言っても詩作を軽視している訳ではなくて、詩なんてって私が言うのは。

 

 それこそ毎日書いてる訳ですよ。

 

 毎日毎日、もうヤんなるぐらい書いてて。

 

 適当にやり過ごす日もあるくらいなのに。

 

 退屈の極北、そういう際の際の状況にジリジリと追い込まれたとき、私はその場所に至ってもまた、なんとほかでもない詩作をしていたっていうこの。

 

 この、詩というものの、私に根を下ろしている度合いというか。

 

 執念の深さ。

 

 興味の強さ、というものを、自分の外側から教えられる感じ、というか。

 

 この、ほとんどペンを走らす音しかしない空間の一場面も、私にとっては轟音に等しいものが鳴っている、これはそのぐらいのインパクトがある出来事で。

 

 こいつ、こんな際の際のところで、また結局詩を書いていやがる、という、まるで他人に対して持つような驚きが走る、というか。

 

 

 人間って、不思議ですよね。

 

 例えば私は他者から、あなたは詩に対して相当強い、ものすごい執念を持っているんですね。

 

 詩はあなたにとってかけがえのないものなんですね、と言われても。

 

 全くピンとこないし、全然その言葉に対して納得をしないと思います。

 

 他者に対して失礼であることにためらいがなければ、馬鹿じゃないのか、あなたは、ってはっきりと言うかもしれません。

 

 毎日毎日やってて、段々自分でも麻痺してくるというか。

 

 本当にこんなものに人の命が懸けられるのか。

 

 そんな訳ないだろう、文字を連ねているだけで、実際は何の足しにもなりゃしない。

 

 私の根の根が、こんな、ただ毎日書くだけのことであるはずがない、ありえない、と思う。

 

 日々の実感としてはそちらの方が遥かに近い訳ですけれども。

 

 自分を超えたところで、自分の外側から、自分は、そこにとんでもない執念を持っていることを、無音の轟音とともに知らされて。

 

 自分自身というものに、呆気にとられるという、こういう瞬間が、人生というやつにはたまにちょいちょい挟まるのです。

 

 何者なんだ、俺は。

 

 俺の底の底の欲望は、俺よりも俺だ。

 

 たまにハッキリこれらと顔を合わせると、心からびっくりする。