<4264>「所感(510)」

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 普通の人間として普通に生きていく大きな分岐点がおそらく18歳の頃に1回だけあって。

 

 上掲の記事でも書いた通り、私は、例えそれが人間として間違ったことだと分かってたとしても。

 

 何回タイムスリップしてその場面に戻ろうと、私は、自分の悪魔との2人連れの方を選ぶって書いてるし。

 

 今でもそう思ってる。

 

 あの、だから私の人生は、全部間違いでも良いんです。

 

 全部間違いで、こんな風に生きるべきではなかったということが、火を見るより明らかだったとしても、それでいいんです。

 

 自分の業を、最期まで引っ張っていくというふうに生きたい。

 

 

 それとね、「やっぱり普通の人として生きるのが当たり前だし、正解だから」とか言って、自分の業を小さくしたり、普通の人間になることを上手く言い訳の材料に使って、自分の人生の目標を完遂しないのは、ヤなんです。

 

 トップに立ったって、世界一になったって、何にもないよ。

 

 そんな目標の据え方とか、生き方とか、間違ってるよって言って。

 

 賢く可能性を見極めて、枠をはみ出さないで死ぬのは、絶対にできないんです。

 

 だから、どうしようもない業の塊なんですね。

 

 でも、私が生きてきたのって、そういう業突く張りな先輩に憧れて、引っ張られて生きてきたんであって。

 

 普通に生きましょうって人を見て、影響されて大人になった訳ではないんだよね。

 

 その人たちもやっぱり晩年、歳を取って、ああこんなのに命懸けて、間違いだったなあってやっぱりぼやいてます。

 

 だけど、到達する前から、間違いだから頂を目指さないって生き方は、賢いけど、どうしても私にはできない。

 

 完璧に間違いだったってのは、頂について、初めて気がつけばいい。

 

 頂に着く前に、間違ってる人生だよってのを、諦める言い訳に使いたくない。

 

 

 自分の生き方が完璧に間違ってるって分かってるなら、その分岐点に立ってた人にはもう連絡を取るべきじゃないよな、何も責任を取るわけでもないし、関係を進めようとする訳でもないし、と思うんだけど。

 

 今年もまた連絡してたな、気がついたら。

 

 まともな魂をそこに置いてきた、その時のたったひとりの見届け人だっていう意識があるのかもしれないね。

 

 ものすごく勝手だけどね。

 

 うん。