<4262>「所感(509)」

 性的な欲動が死への欲動であるってのは、体験するまでいまいちピンとこなくて。

 

 ただなんとなくおしゃれでかっこいいなと感じてただけだったんだけど。

 

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 実際にアホほどやってみて思ったのは、死への欲動だっていう意味はおしゃれな意味ではなくて、もっと淡々と自分に染み込んでくるようなものだということで。

 

 なんか、実際にそれで死にゃしないし、臆病だしまだ現世でやりたいこともあるから死にたいってのとはちょっと違うんだけど。

 

 死への欲動だと言われてもある意味納得がいくのは、溺れると、段々現実の生活とか、建設的な努力とかが、実際問題としてどうでもよくなってくるからだ。

 

 んで、最初の頃はセックスできてうれしいみたいなものだったのが、段々その、死への欲動、日々のあれこれがどうでもよくなる感触を味わいたいがためにまたセックスをする、みたいになってくる。

 

 これは、明らかに私に気づかれないようにというか、段々と、静かに、本当に静かに死を招び寄せていて、こわいなと思った。

 

 人間としては、そんな遊びに夢中になっていない頃の方が、遥かにまともだったなと感じることが多い。

 

 建設的に積み重ねるし、日々生き生きと作業をするし。

 

 でも、そのまま例えば寿命まで生きたとして、建設的に真っすぐ一本みちで行けるほど人生というのは甘くもないんだろうな、とも感じている。

 

 そういう破壊的な、堕落的なオイタがなければ、人生ってちゃんと全うできないように作られているんじゃないかって気がする。

 

 迂回をしないと辿れない道筋、着かない到着地点がある感触といえばいいか。

 

 だから、中途半端なところで止めるんじゃなくて、しっかり溺れ切りたいと思う。

 

 帰ってこれるかはしらないけれど、中途半端が一番よくない。

 

 ちゃんと溺れ切る。

 

 もうでもその溺れ切るポイントの近くまで来ている感覚はある。

 

 これ以上先はないよ、というか、死だよ、というような。