<4256>「所感(506)」

 バーナード・ショーの名言が真理を突きすぎていて、胸が痛いかつ大好きなんだけど。

 

 叶いすぎる悲劇と、叶わない悲劇の、その両方を十分に味わうと、人間的に大分落ち着いてくる。

 

 隣の芝には隣の芝の苦痛があることが、リアリティを持って迫ってくるからだ。

 

 両方の苦しみを経験すると、今自分が望んでいることが、叶ったら嬉しいけれど。

 

 叶うことには叶うことの地獄があることを知っているので。

 

 まあ、叶うか叶わないかは天に任せる。

 

 という気持ちになる。

 

 どちらにせよ地獄は伴うなら。

 

 

 なんて表現したら良いか。

 

 とても好きな人と、会い尽くせてそれが褪せる方が良いか。

 

 会いたい回数を会えず、会い尽くせず、未練として残る方が良いか。

 

 というのを最近よく考える。

 

 嫌な見方というか、映画で、病気による死に別れみたいな恋愛ものって、定番かつ滅びないですよね。

 

 それが定番なのは、これも嫌な言い方だけど、そっちの方が、少なくとも観る人間にとっては、耐えやすいから、定番なんだろうね。

 

 安心してその美しさに酔えるというか。

 

 

 そんな嫌な見方と抗議されるかもしれないけれど、じゃあ例えば、あんなに愛し、求め合った人間同士が、もうお互いにお互いのなかで完全に褪せてしまった、その後の冷えた関係性の持続、みたいなものを、2時間見せつけられて、耐えられますか。

 

 仮に2時間観続けることはできても、私ならその後しばらくグッタリしちゃうでしょうね。

 

 私は今、叶ったものが褪せる以上の地獄はないと思い始めている。

  

 家族の地獄というのは、全てそこにあるのではないか、とも。