バーナード・ショーの名言が真理を突きすぎていて、胸が痛いかつ大好きなんだけど。
叶いすぎる悲劇と、叶わない悲劇の、その両方を十分に味わうと、人間的に大分落ち着いてくる。
隣の芝には隣の芝の苦痛があることが、リアリティを持って迫ってくるからだ。
両方の苦しみを経験すると、今自分が望んでいることが、叶ったら嬉しいけれど。
叶うことには叶うことの地獄があることを知っているので。
まあ、叶うか叶わないかは天に任せる。
という気持ちになる。
どちらにせよ地獄は伴うなら。
なんて表現したら良いか。
とても好きな人と、会い尽くせてそれが褪せる方が良いか。
会いたい回数を会えず、会い尽くせず、未練として残る方が良いか。
というのを最近よく考える。
嫌な見方というか、映画で、病気による死に別れみたいな恋愛ものって、定番かつ滅びないですよね。
それが定番なのは、これも嫌な言い方だけど、そっちの方が、少なくとも観る人間にとっては、耐えやすいから、定番なんだろうね。
安心してその美しさに酔えるというか。
そんな嫌な見方と抗議されるかもしれないけれど、じゃあ例えば、あんなに愛し、求め合った人間同士が、もうお互いにお互いのなかで完全に褪せてしまった、その後の冷えた関係性の持続、みたいなものを、2時間見せつけられて、耐えられますか。
仮に2時間観続けることはできても、私ならその後しばらくグッタリしちゃうでしょうね。
私は今、叶ったものが褪せる以上の地獄はないと思い始めている。
家族の地獄というのは、全てそこにあるのではないか、とも。