<4250>「所感(503)」

 人を騙すためとか、人に良い人間だと誤認させるためではなく。

 

 暗い欲望や。

 

 人間としてめちゃめちゃな部分を抱えているからこそ。

 

 礼儀礼節、姿勢を大事にする。

 

 良い人間であることを証明するためではなく。

 

 良い人間ではないことを知るからこそ、逆に礼儀。

 

 内部なんて本来見てらんない状態であるからこそ。

 

 せめて見える部分は丁寧に。

 

 形は美しく。

 

 

 今楽しいことがないっていうのは。

 

 諸々のことが自分のなかで過去になっただけで。

 

 やってれば今つまんなくても楽しくなってくるから大丈夫っていう確信を得た。

 

 自分の表現のために英語や中国語を書く練習をちまちまちまちまずっとやってるけど。

 

 なんか蓄積がある一定程度を超えたのか、急に楽しくなってきた。

 

 別に大して面白くないと感じていること、それなりの長さやってもつまんないままのもの。

 

 そういうものも、時間を掛けてやってて、ある閾値を超えると、急に面白くなる。

 

 そうすると、あらゆるところから面白さは作れるという訳です。

 

 ね。

 

 

 自分という人生のままならなさや。

 

 自分という人間の謎が、急にどこかで繋がったりとか。

 

 そういうことに大興奮するタチの人間で。

 

 そして私が1番書きたいのもそこで。

 

 例えば日曜日の団欒の記憶とか。

 

 商業として成功するための要素を盛り込んで、商業的に成功したいわけじゃないんだ。

 

 それは、最初っからうっすら気がついてはいたけれど、長年やってきて、確信に変わっている。

 

 なんか一個これで解脱というか、軽くなった。

 

 徹底して自分の謎に触れたい、書きたい、それだけなんだ。

 

 それだけを徹底的に掘って、書いていければいい。

 

 そのことで異様に興奮できるし、生きていける。

 

 自給自足も良いとこ。

 

 私はエゴ、自我がドデカいんだと思う。

 

 皆、結局自分がかわいいとか自我がとか言うけど。

 

 私という異常者の世界からみると、そこまで多分普通の人の自我って言われるほど大きくない。

 

 他者が見ていなかったり評価してくれなかったら段々やめちゃうってのは、なんか非難されることも多いけれど。

 

 それは、それだけその人が人間の関係性のなかで生きてるっていう証明みたいなものだから。

 

 それ自体はものすごく人間として健全なことで。

 

 非難される要素はひとつもない。

 

 逆に、ひとりで延々と異様に自給自足で興奮して生きていける人間なんて、関係性のなかで生きていなさすぎて危ういと感じる。

 

 自分をとんでもない化物だと思う所以でもある。

 

 そしてそれがちょうど人様に不満に思われる部分でもある。

 

 一番指摘される。

 

 曰く、もっとこっちに流れてこいよと。

 

 なんで自給自足の世界にずっといるの。

 

 関係性のなかに居ないの。

 

 あなたはどこを見てるの、という。