技術っていーな。
のウィークエンド。
明日もその予定、まあそれはまた追々報告を上げます。
今日もまたボイトレ行って参って。
あたしは高音出すときに、顔で頑張っちゃって、歌い終わると顔ヘトヘトっていう悪癖があるんだけれども。
今日教わったのは、高いところを出すときほど、胸が響くことを意識するってこと。
高音出すときほど、身体の下の方、低い場所で響かせるイメージでやるってこと。
そういうのを意識して今日練習したら、全然顔疲れなかった。
すげえ。
それでも高い音ってのはどうしても顔付近の響かせが必要になる。
そういうとき、腹の底の方で頑張るのと。
鼻の先から眉間辺りに高音をぶつけるイメージも持ち。
そのふたつを上手く連動させていくこと、これはまだできてないけど、を学んだ。
すげえ。
技術っていーな。
あと、私は今んとこ音域はわりとあるけど。
地声から裏声へのなめらかな切替が苦手だから。
それ専用のグラデーション切替練習も教えてもらった。
ありがたいことです。
その後ジム行って。
ガンガン泳いで自転車乗ってたけど。
まあ、結構クロールのペーシングが身についてきていて、疲れ方が全然違ってきてる。
これはびっくりした。
技術っていーな。積み重ねって。
技術っていーなって、言ってます今。
その裏っかわには、愛と憎への病的嫌悪があるのです。
私はもうしつこいぐらい、さんざっぱら。
愛されること、求められること、愛的に受け容れられることが、色々なこわさのなかでダントツにこわい。
それはもう圧倒的にこわくて。
人が自分を愛してると分かると、呑み込まれると感じてしょうがない、という話をしてる。
それはごめん核だからおそらく今後も何回もする。
このまま世界ごと、投げ出したくなるくらいに、こわい。
仕事だろうが遊びだろうがせっかくコミュニティに入って上手く行きそうになってるのに。
結局その場に溶け込むと、どうしてあなたには愛や憎がないの。
それに対してまあまあまあと交わしてても、結局愛や憎ではないのは何故なんだという圧力が高まってきて。
意味わかんないよ、お前って段になると。
あ、また駄目か。
結局ここに追い込まれてしまうか、と何度も何度も思ってきたのだけど。
良いんだ、もう。
愛や憎は、ないんだ。
ないんだ、というか、死ぬほどおそれていて、その話ばっかりになると、死ぬほど気力を削がれる類のものなんだ。
私を殺さずに殺すのはだから簡単で。
毎日毎日、愛や憎が1番だ、何故お前にはそれがない、と詰められ続ければ。
元気がなくなって、簡単に死ぬ、そういう生き物です私は。
前に、サーカス・カトマンズって映画を見て。
感想も書いたんだけど。
それに関わった背景は最悪でも。
もたらされた技術だけは、透明なまま、私のなかに残るのです。
技術は透明です。
技術は身を助けるってのは。
それによって稼げるって意味と。
ドロドロしたものを抱えていない、透明な領域が存在することが、あなたの命を、呼吸を助けますって意味も含まれるんです。
社会と、世界と繋がる命綱たる「技術」。
大切にしよう。
その繋がりがあれば生きていける。
なんか、何してんのかな自分って、あらゆる方面でずっとトレーニングしてて。
それが自分でも訳わかんなくなって、時々迷子みたいになって。
家の中で、もう分からん分からんって倒れ込むことも何回もあるんだけど。
技術から伸びる通路によって、私は、何とか外との繋がりをかろうじて保てるからだった。
そこで繋がる喜び自体は私の中にある。
技術っていーな。
命綱なんだ。
家でひとりでトレーニングばっかやってて、これってなんになるの、じゃなくて。
個人的に始めて、なんとなくまとまった時間続いちゃうものでもって、外部に接続されればそれでいいんだ。
愛と憎からのルートで繋がりまで辿り着かない身の上の者としては。
それでいいんだ。
技術っていーな、の人なんだ。
技術でちゃんと繋がれてるとき、羽が生えたみたいに、身体が軽い。
愛や憎を問われない場所では、おそろしいほどに生きやすい。
今後も、自分だけで磨く、だけだと腐るので。
それは書くことも運動も歌も踊りも貼り絵もセックスもそう。
トレーニングと交流、この両方が大事。