<4208>「所感(484)」

 居たくないってことを相も変わらず考えている。

 

 仕事で、まあよっぽど嫌な場所とか仕事内容でない限り。

 

 仕事の中身が辞める要因になることはない。

 

 何が嫌かって、ひと仕事終えて、せっかく退散できた場所に、また明日戻らなければならないってことが、嫌なのだ。

 

 それが私の嫌さの核で。

 

 何でまた、おんなじ場所に還らなければならないんだろうという想いを、常に抱えているのだ自分は、ということが分かる。

 

 社会性とか、どうやって稼ぐんだどうやって暮らすんだ、みたいなことを脇に置いて。

 

 自分の本音の本音の底に潜れば。

 

 私は常に、知らない場所へと移動し続けていたいのだと思う。

 

 一生移動しているというか。

 

 同じ場所に居続けることが別に苦痛でないというか、当たり前だと感じている人はそんなこと思わないかもしれないけれど。

 

 直近でも書いたように、私は、同じ場所で長く勤められる人を、ただそれだけの理由で無条件に尊敬している。

 

 せっかく退散した場所に、また戻るという営みを、もう何千回と繰り返している、ということになるからだ。

 

 私にとってそれは、それだけで大偉業に見える。

 

 

 昔、立川こしらさんという落語家の著書を読んで、その、移動し続けるスタイルにものすごく憧れたことを思い出す。

 

 移動して、移動して。

 

 都度要らなくなったものを振りほどいて。

 

 削いで、削いで。

 

 ついには出涸らしになって、どっかの知らない都市知らない街で。

 

 バタリと倒れて、誰に顧みられることもなく。

 

 果てて最期を迎えてみたいという、沸々と底の方で沸く私の欲望がある。

 

 書くこともトライアスロンの練習もセックスも。

 

 自分のなかの水という水を使い果たして跡形もなくなってしまいたいというエネルギーによって支えられているような気がする。

 

 この衝動は激しい。