楽しいことが、褪せるということ。
ジョージバーナードショーの、人生における二つの悲劇の言いじゃないけど。
良いことがないとか、経験できないとかいうことより。
良いことが褪せちゃうことの方が辛いとは夢にも思わなかったな。
良いことが経験できない、の場合。
もし今後努力してそれを得られたら、どんなに楽しい世界が待っているんだろうか。
とか。
クッソふざけんな俺はまだ得られてないぞ、うぉーとか、やって。
燃料もあるし、楽しい妄想に浸ることもできるけど。
良いこと、やりたかったことが全部得られて、それが褪せちゃった場合。
補完が利かない。
補完が。
最近、長くその場に所属しているとか。
長く生きているとかだけのこと。
ただそれだけのことを、前にも書いたけど、大変尊敬するようになっている。
例えば、長く所属しているだけで、ちゃんとやってないサボってるとか、実力がないとかお荷物だとか、言うだけは言うことができる。
でも、時間が蓄積していくことの重み。
全てが褪せていくことの残酷さ。
そういうものに、耐えたり、耐えきれないので上手くかわしたりとかして。
それなりの年数そこに居れてしまうということは、本当に馬鹿にならないことで。
それは長く生きている場合にも言えて。
いや尊敬に値する人格じゃないとか、ヤな奴であんなんなら生きていない方がいいとか。
私が着目するのはそういう部分ではなく。
時間が無数に折り重なり。
楽しかったはずの事が全て褪せていくことを無限回経験する。
そしてなお、もう嫌になりどうでもいいと思いながらもなお。
何とかこの世界でこらえている。
そういう姿は、性格がどうとかそういうものを一切超えて、凄まじいものだと思ってしまう。
長く生きている人は、そんな大層なことじゃねえよ考えすぎんな若造が。
と照れて返すかもしれないけれど。
本当に凄まじいことであるのは確かだ。
私はそれを分かりはじめた。