<4206>「所感(483)」

 楽しいことが、褪せるということ。

 

 ジョージバーナードショーの、人生における二つの悲劇の言いじゃないけど。

 

 良いことがないとか、経験できないとかいうことより。

 

 良いことが褪せちゃうことの方が辛いとは夢にも思わなかったな。

 

 良いことが経験できない、の場合。

 

 もし今後努力してそれを得られたら、どんなに楽しい世界が待っているんだろうか。

 

 とか。

 

 クッソふざけんな俺はまだ得られてないぞ、うぉーとか、やって。

 

 燃料もあるし、楽しい妄想に浸ることもできるけど。

 

 良いこと、やりたかったことが全部得られて、それが褪せちゃった場合。

 

 補完が利かない。

 

 補完が。

 

 

 最近、長くその場に所属しているとか。

 

 長く生きているとかだけのこと。

 

 ただそれだけのことを、前にも書いたけど、大変尊敬するようになっている。

 

 例えば、長く所属しているだけで、ちゃんとやってないサボってるとか、実力がないとかお荷物だとか、言うだけは言うことができる。

 

 でも、時間が蓄積していくことの重み。

 

 全てが褪せていくことの残酷さ。

 

 そういうものに、耐えたり、耐えきれないので上手くかわしたりとかして。

 

 それなりの年数そこに居れてしまうということは、本当に馬鹿にならないことで。

 

 それは長く生きている場合にも言えて。

 

 いや尊敬に値する人格じゃないとか、ヤな奴であんなんなら生きていない方がいいとか。

 

 私が着目するのはそういう部分ではなく。

 

 時間が無数に折り重なり。

 

 楽しかったはずの事が全て褪せていくことを無限回経験する。

 

 そしてなお、もう嫌になりどうでもいいと思いながらもなお。

 

 何とかこの世界でこらえている。

 

 そういう姿は、性格がどうとかそういうものを一切超えて、凄まじいものだと思ってしまう。

 

 長く生きている人は、そんな大層なことじゃねえよ考えすぎんな若造が。

 

 と照れて返すかもしれないけれど。

 

 本当に凄まじいことであるのは確かだ。

 

 私はそれを分かりはじめた。