<4205>「所感(482)」

 老後の生活とか。

 

 引退したらやりたいこと、みたいなものがない。

 

 やりたいことはすぐにやって終わらして、次行きましょう。

 

 という意識。

 

 んで年々それが強くなっているので。

 

 いつかの日のために、使うかもしれないからみたいな考えでものや記憶を取っておくことはしない。

 

 とは言っても最初はやはりそれはこわかった。

 

 現在時に強烈なライトを当てて、現実に直面することが。

 

 ものや人とお別れして、私には何の繋がりもないんじゃないかと感じてしまうことが。

 

 でも、段々何回も葛藤を繰り返していると、それに慣れてくる。

 

 いつかの何かのために取っておいているとして、じゃあその、いつかが今来たと仮定して、あなたはその道具を使って何かに着手しますか?

 

 と訊くと、大抵私のなかからはNOが返ってくる。

 

 つまり、未練とか記憶を留めておきたいだけなのだ。

 

 その物を残すことによって。

 

 でも、もう実はとっくの昔に別れは済んでいるんだ。

 

 別れが済んでいることを、見極めるのが上手くなる。

 

 関係には始まりがあり。

  

 旬があり。

 

 終わりがある。

 

 さようなら。

 

 ほら、ちゃんと挨拶なさい。

 

 さようなら。

 

 そうか。

 

 あんなにさようならを言えるよう、しつこくしつこく躾けてたのは。

 

 ちゃんと色々な物事と別れられる。

 

 別れを見極められる、人間にお前はなるように。

 

 ってことだったんだね。

 

 私が誰であるかなど訊ねないでくれ、とたしかフーコーは書いた。

 

 新しい人間になり続けること。

 

 そのために退屈や飽きは来るのだろう。

 

 書いていくことによって生きていく私、私たちを連れて。