惚れるってなんだろうね。
惚れるって。
惚れさせるのなんて簡単とか。
相手を落とすなんてチョロいみたいな。
そういう話に対して、なんだろうなんだろうってずっと違和感を持ってたんだけど。
違和感の理由が分かって。
①惚れる惚れられるって、教えられないってことと。
②それは惚れさせてるんじゃなくて、勃起させてるだけなんじゃないか。
ってことの2点が引っ掛かってたことがその理由だった。
人間は、男であれ女であれ、当然生き物なので、色っぽいと感じたら勃起する。
勃起は正直だ。
ある程度誰にでも当てはまる共通の因子を引っ張り出してくることができる。
肉体、服装、声、知性、人間性、センス、ムードなどなど。
だから、相手を勃起させる技法は、人に授けることができる、教えられる。
技法があって、教えられるものには、難易度がある。
曰く、オトすのは簡単だとか、因子が少ない人に、相手を勃起させるのは難しいであるとかだ。
でも、惚れることは、教えられない。
惚れさせるのに、簡単も、難しいもない。
難易度の外にある。
それはどういう意味か。
私は、談志師匠に惚れ。
自分が一番だと言い切る愚か者の生を生き切る阿呆さ、かっこよさを学び、人生設計の核に取り入れた。
私は、吉本隆明さんに惚れ。
その影響で、どんな状況下にあろうが、ものを書き続ける人生に身を置くと決めてしまった。
こういう、人生の進路を決めてしまう、人生の道筋を変えてしまうほどの惚れ方をした人は、人生でこの2人だけだ。
同性愛ではないと思うんだが、この2人ぐらいのレベルで惚れた女の人って、人生でひとりもいない。
自分の人生変わるレベルで惚れてしまった女の人はいない。
じゃあ上記の2人とセックスできるかと言われればちょっと・・・一番色気ある時代を引っ張ってきても厳しいかなあ・・・という気はする。
(エリザベスの、ラリーに対する気持ちってこんな感じだったのかなあ、と今思った。)
それで、じゃあ、この人生変えるレベルの惚れるってやつは、大体10年以上前に起こったんだけど、これ、どうやって私に教えられますか。
え~とね、あなたは2010年代前期に、立川談志さんと吉本隆明さんという人に、人生が変わるレベルで惚れてしまうんですけれども、そのチャンスをね、逃すとあなたは未来で別人になってしまいますから、そのチャンスを逃さないようにね、今から準備しておきましょう。
なんて、2000年代の私に、どうやって教えられるでしょう。
それに、談志師匠も吉本さんも、当然こんな惚れられは予期することができない、当たり前ですが、2人とも別にあたしのために生きていた訳ではなくて、自分の生を全うしてただけなので。
つまり、惚れられることに対してだって、準備なんかできないんですよ。
惚れる惚れられるなんて、教えることができないんです。
だから、そこに簡単だとか難しいんだとかいう尺度自体を持ち込むことができないと、私なんかは思う訳です。
んで、何が言いたいかというと。
惚れることの方が、あなたの人生においてはずっと大事ですってことを言いたいんです。
教えられないってことは、なにかのパターンに回収できないってことだから。
そこにはあなた固有のものが秘められているからってことを、言いたいんです。
確かに、性的魅力に欠けていて、振り向かれないってことのショックは大きいでしょう。
エリザベスも、だから劇中で彼のために一生懸命に色っぽくなろうと頑張ったことを語ってますよね。
ショックだから多くの人が勃起させる技法を知りたがりその取得に全速力で向かう。
でも、勃起させる力の獲得は、大きな満足感の後に、必ずあなたに虚無感をもたらします。
というのも人間は生物です。
おいしいものには涎を垂らします。
だらだら垂らします。
それは必然の在り方です。
だから、あなたは力を獲得した後、生物の必然のパターンに従いあなたに吸い寄せられ、生物の必然のパターンに従い、あなたを貪っていく無数の名前のないものを見ることになります。
そこには相手もあなたも居ません。
ただ勃起があるだけです。
どうしてもこの人としたくてしたくてたまらない。
もうチンチンが爆発しそうでしょうがないのに。
その当の相手がどんな人間であるかには、1ミリも何の関心も抱いていないことが多々あります。
そういう場合が99%と言ってもいいかもしれません。
勃起は大切です。
ただ、惚れることは、もっと大切です。
相手が振向いているかいないかなどには関係がありません(私など、談志師匠や吉本さんに認識されてすらいないんですからね)。
それは、パターンでは片付けられない、ゆえに教えられない、あなた固有のものであるからです。