<4183>「所感(471)」

 居たくない。

 

 これは私のなかでも長いテーマの方。

 

 言うたら一生ものの。

 

 良いお父さん、あるいは良いお父さんになるよ、と言われる。

 

 しかし、自分のなかで、お父さんは、1番許せない存在なんだ。

 

 内界で感覚してること、と他者が私に見ているものの乖離が大きい。

 

 だから、どこにいても居心地が悪く、居たくないんじゃないか。

 

 結婚はどうなの、なぜしないの。

 

 なぜ付き合わないの。

 

 良いお父さんになるのに。

 

 いいですか。

 

 自分のお父さんも。

 

 自分がお父さんになることも。

 

 死ぬほど受け容れがたいことなんだよ。

 

 最近ようやくこれらに対して、理解をしたんじゃなくて、覚悟が決まった。

 

 私は、尋常の人ではない、という覚悟が定まった。

 

 知ってたのと、完全に覚悟するのとは違う。

 

 もうその、尋常の可能性自体を、100%手放すということだ。

 

 尋常の人に、どっかでなる道があるんじゃないかと模索したけれど、どうしても無理だった。

 

 それは、私の根深い、親、家族的なものへの嫌悪と、業の大きさから。

 

 こんな人間は、しかし尋常ではないという意識だけは持っているように。

 

 化物を、とどめる術がなくなるから。

 

 

 アドラーも。

 

 森田正馬さんも。

 

 加藤諦三さんも。

 

 こういう領域では大きな影響を受けた。

 

 皆、人生の尋常を説いていた。

 

 本当に、本当にその通り、本当にその通りだよなあ、あなたがたが言っていることは。

 

 皮肉ではなくて、本当に、心から、勉強になりました。

 

 勉強させてもらいました。

 

 でも、ごめんなさい。

 

 俺は間違えたいです。

 

 盛大に間違えたいです。

 

 自分の業を、死ぬまで引きずりきりたいです。

 

 人生で、最期の瞬間、ああ完璧に間違ったな、こんなことに命かけてって、言いたいです。

 

 談志師匠。 

 

 小林秀雄さん。

 

 丿貫さん。

 

 自分が、ああ間違えたなあってのを、完璧に自覚している人たち。

 

 そういう人たちに連なって、俺は生きてきたし、力をもらってきたから。

 

 俺は、山本陽子さんがそうであったように、存在しない人間の系譜に連なっています。

 

 だから、俺が書くものも、ほとんど一握りの、存在しない系譜に連なる人間に向けて書いています。

 

 つまりそれは人間として、100%間違っているということです。

 

 普通の人は軽やかに無視し、無視できないときは、悪い見本として受け取ってください。

 

 

 もう、いい年、まあ入口付近に居るとは言え、中年も中年なのに。

 

 なんでいつまで経っても免除されんねんやろか、何回訊かれんねん。

 

 もう、でも、前までは、尋常な価値観尋常な社会に対して、ちょっとは遠慮とかがあったから言わなかったけども、嘘ついたら結局居れなくなるから。

 

 これからは、訊かれたら正直に爆弾を投下しようと思う。

 

 結婚はしたくないです。すみません。

 

 なぜなら、結婚の、家庭生活の内部を、二度と見たくないからです。

 

 自分が経験するのではないとはいえ、小学校とか中学高校、大学とか社会人を、子を通してもう一度繰り返し体験するのが、死ぬほど苦痛だからです。

 

 他人とはいえ、見ていられないからです。

 

 人とは付き合いたくないです。

 

 人とずーっと一緒にいる、いつも一緒にいるのが苦痛でしょうがないからです。

 

 セックスをすれば、その後はすぐに1人になりたいからです。

 

 それ以外に、付き合ってやりたいことが特にないからです。

 

 

 世間の人と話をしてると、別に誰も、そんな外圧とか、義務感とかで付き合いとか結婚をやってねえよなってよく思う。

 

 なんだかんだ、付き合いも結婚も、やりたいからやってる。

 

 それを、自分は一生懸命、それをしないと生きていけないんじゃないか、社会の一員になれないんじゃないか、でも本当のところはどうしてもやりたくないからなあ、と葛藤してた。

 

 

 小学生の頃には、自分のことそういう人間じゃないって気づいてたのにね、ごめんね。

 

 自分に無いものをひりだそうとして。

 

 好きだと言われたとき、私は嫌いとか私も一緒で嬉しいとかではなく。

 

 呑み込まれる、が内部の感慨だった頃から、自分の人生ははっきりと決まっていた。

 

 

 でも、世界とは友好的であれるよ。

 

 というか、その筋だけは守るよ。

 

 人間社会なんて別にいらないと思っていても。

 

 評価に値する場所じゃないとは思っていても。

 

 生まれて、暮らしている人たちは、老若男女、誰であれ、不可抗力でこの世のなかに出てきた人たちだ。

 

 そういう、どうしてかも分からず生まれてきてしまった人たちを、さらに苦しめる必要は、どこにもないよね。

 

 お互い、仲良くはやっていけるよね。

 

 そうは言えるし、そうは出来る。

 

 それが私のジェントルだし美学だ。

 

 その友好的な面だけを見て、なんで付き合わないなんで結婚しないなんでなんでって結果的に言われちゃうんだけど。

 

 私からしたら前提が違うんだよな。

 

 友好的になろうって、ストレートにスタートして、ストレートに貫いている訳ではないから。

 

 でもこんなん、そりゃ伝わんねえよな。

 

 だから、どこにも居たくねえんだよな。

 

 こういう人間は、どっかで爪弾きにされるかもしれないけど。

 

 私からは爪弾きにしない。

 

 それが、生きる姿勢で、友好的ということの意味で。

 

 もうしょうがない、覚悟が決まったら、その後は、こういう人間が、どうやって社会のなかでやってくのかっていう、壮大な実験をやってると考えて、生きていくんだ。

 

 行けるとこまで。

 

 やりようはあるよ。

 

 必ず。