<4114>「所感(441)」

 かつて野球をやっていたが。

 

 チームメイトの落ち度とか、そういうのを陰口的にあげつらう場面とか、苦手だったな、ということを思い出すなどしている。

 

 そんなに落ち度が気になって仕方ないのなら、個人競技を選べばいいのに。

 

 幸いにしてそういうものはいっぱいあるじゃないの、と思ったりしていた。

  

 野球みたいのの醍醐味って。

 

 偶然に偶然が重なり、皆がその勢いに乗って、到底ひとりでは起こし得なかった奇跡を、本当に起こしてしまう点にあると思う。

 

 人間の行いのひとつひとつが面白いように連鎖していくあの感覚。

 

 からの大団円。

 

 ああいう喜びは、ひとりでやってたんじゃ得らんないもので。

 

 

 まあもう今、野球はやってないけど。

 

 例えば歌とか習ってて。

 

 自分ひとりが上手くて、あるいは上手くなってて。

 

 表現の幅が広がってて。

 

 って、それは、純粋に嬉しいし、楽しい。

 

 でも、この前表現者の私みたいなことで書いたのと同じなんだけど、コンプレックスを跳ね返すために見せつけたいとか、皆に上手いと思われたいとかが、なくなってしまった。

 

 別に何も、見せつける必要のあるものはない。

 

 それよりも。

 

 歌って、皆で合わせたら楽しいよね、とか。

 

 楽しくて愉快だから、その場にいる皆で歌い出しちゃうんだよね、とかの、歌の根本に還っていっている感じがする、今。

 

 その方が、自分が上手くなることよりも、よっぽど嬉しい。

 

 じゃあトレーニングは不要かといえばそんなことはなくて。

 

 より十全に楽しむための、トレーニングなんだ。

 

 何かを跳ね返すためじゃない。