<4108>「所感(438)」

 見栄がなくなってくると、表現者として生きているってことが、恥ずかしさを伴わずに自然にスッと前へ迫り出してくる感覚になる。

 

 本名ではやってるけど、現実で何か表現活動してんのとか、それに近いこと訊かれたら、なんだかんだモゴモゴ言って隠しちゃってた。

 

 でももうそれも、そろそろなくなってくる予感がする。

 

 表現をぐりぐり押し出そう、表現によって優位に立とう、みたいな部分がなくなってきたからだろうな。

 

 そういう抑えつけではなく、現実に創造方向から関わることのできる自分の在り方に、よろこびを見出だせるようになっている。

 

 創造によって他を圧倒したいとかがメインの動機だと、それを自分で見せつけてるはずなのに、結局見られるのはやっぱ恥ずかしいみたいになる。

 

 全般的に劣っているから跳ね返さなければならない、みたいなコンプレックスが自分の中にあったんだろうね。

 

 それを結局見られることになるのが恥ずかしいというか。

 

 恥ずかしさがなくなってきたのは段々そういう見せつけるみたいな気分がなくなってきたからなのだろうと思う。

 

 これは結構嬉しい。

 

 普段もの書いてますよとか、貼り絵しますよとか踊りますよとか。

 

 普通に言えるっぽいようになってるの嬉しい。