<4087>「所感(428)」

 17歳〜21歳ぐらいの集中力とかインプットの感性とかに、今現在は完敗してる。

 

 今何かその頃に勝ってる部分があるとしたら、時間の積み重ねとか蓄積で勝ってるだけで。

 

 連続としてではなく、現在時とその当時を点で比較したら、もう完敗も完敗。

 

 勉強も高い集中力でまとまってやるし、休みとか遊びとのバランス感覚も凄まじい。

 

 娯楽もぐんぐん吸収する。

 

 んで、何が言いたいかっていうと、いやあ俺ももう歳だからと、歳を取ったことを言い訳にしないで、その水準までちゃんと戻ろうと思ってる。

 

 戻れるとも思ってる。

 

 2時間続けて同じ科目を勉強できる状態に戻れれば、自分がコントロールできる領域では、ほぼ何も困らなくなるのは分かる。

 

 

 

 『奪われた集中力』って本を今読んでる。

 

 読んでて、ああやっぱりそうだったか、と思うことが多い。

 

 ながら作業なんてできないのに、いかにできると信じていたことか。

 

 この本を読んで何か憑き物が落ちてから、あんなに当たり前だったながら作業、マルチタスクがうるさくてしょうがなくなった。

 

 その分ひとつのことに対する集中力は戻ってきている。

 

 集中力が分断されているのには、社会的な要因と自分由来と両方あった。

 

 自分由来としては、あれもこれもやりたい、はよろしいけど、一個一個に深く没頭していった方がずっと成果も上がることを忘れていた。

 

 あるいは忘れてないけど、押し込めていた。

 

 社会的な要因は、どんどんスピード、短さ、切り替わりの多さによって、物事の楽しみ、価値が増したかのように錯覚させる手法が当たり前に使われるようになってきていること。

 

 そういう逆らい難い傾向が厳として存在することなどがある。

 

 私はそれらと徐々に離れられている、今。

 

 脳がスッキリしている。

 

 いかにいままで複数の情報を、ごちゃごちゃに脳に送り込んでいたことか。

 

 これじゃあ分かるものも分からなくなって当然だ。

 

 静寂とともに居られる、過ごせているのがいつぶりかが分からなくて困惑する。

 

 集中力が戻ってきている。

 

 死なない限り、中断されない限り私は多くを成すだろう。