<4077>「所感(423)」

 「分かる」ってことが、いつの間にか純粋な喜びじゃなく、恐怖感とかトラウマみたいなものになってたんだな、と思う。

 

 全然別に人のことなんて気にしてないですよ、ってそぶりを見せてても。

 

 あの、すんなり分かってしまうときに、周りがサアーっと引いていく感じのこわさってのは結構身体のなかに残る。

 

 いくら、分かっててすごいだろう、と逆に強がってみせても、ダメなものはダメ。こわい。

 

 でも、だんだんもう恨みっこなしというか。

 

 お前が別に分かっていようが分かっていまいが、そんなの知らねえよ、って歳になってきたことで。

 

 ああそうか、分かってて良いんだ、別に大層な奥もなかったし、複雑すぎるその先に何の秘密も隠されている訳でもなかったし、もっと手前で、普通に分かってて良いんだ、となってきていて。

 

 ちょっとだいぶ楽になってきていると同時に。

 

 静かにひとり学ぶ、あるいは誰かと学び合うことの喜びが、また沸々と湧きあがってきているような感覚がある。

 

 もっと簡単に、シンプルに分かるものを、ここには「奥」がある、奥には到底すぐには諒解しえない「神秘」があるぞ、という形を自分の中に作ることで、非現実の夢を見続けていたかったから。

 

 分かる領域を、はて? はて? それは本当か、の乱打でわざとぐちゃぐちゃにしてきたんだ、ということが分かった。

 

 ほどくのに時間は掛かるからまだその絡み合いの名残りはしばらく残るだろうけれど。

 

 もう、シンプルに、純粋に「分かってて」いいんだよ。よかったね。

 

 一個一個分かっていっていいなら、こんなに学びって静かでうれしいものなんだね。