惚れるってなんだろうね。
今日は品川の映画館で『ブルームーン』を観た。
まだ多分公開されたばかりで、ネタバレを沢山書くのでご了承ください。
まあ、あんまりネタバレとかがない映画だとは思うけども。
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最初はね、まあとにかく見ているのが辛い感じ。
主人公のラリーが哀れで、哀れで。
弔辞を読むのはやめてくれ、みたいなジョークをラリーはさんざっぱら飛ばすんだけど。
本当にもう、仕事からも背かれ、女の人も得られず。
さながら生前葬の様子。
でも不思議な映画だった。
最後まで通して観ると、その哀れさも、全てようやっとるに回収されてくるというか。
ラリーはね、惚れて惚れて惚れ抜いた人だってことが、最後に一遍に分かるんですよ。
それは愛する女性に、じゃない。
美しさ、美しいものに惚れて、惚れ抜いて、それに殉じた人生だったんだ。
ラリーはね、あそこが生前葬の場だとちゃんと知ってて、最後まで見事にやり切ったんだよ。
そういう感想になる。
最初の方で、見ているのが辛くて耐えられないと思ってたのが嘘みたいだ。
一番好きだったシーンは、最後の方の、ヒロインのエリザベスとのふたりきりのシーン。
エリザベスが、男としてではないけど、ラリーのことを愛し、尊敬していたのは本当だったんだな、と思えたのは。
ラリーに対して、かなり優しく、丁寧に、自己開示をしていたから。
不可思議な、妖しい魅力を持った、掴みどころのない才能あふれる美女を演じ切って、ラリーを煙に巻き、惑わせ続けることもできただろう。
でもエリザベスは、ラリーに全部の種明かしをした。
男の匂いに勃起し、流れでのセックスで惨めに失敗し、意中の彼は全くエリザベスを見ておらず、緊張もしておらず、日を空けてまたセックスのやり直しをしても、全然彼の気持ちはエリザベスに向かわず。
その後に至っては、一度も彼から連絡がこないのだと。
要するに、エリザベスとは一回セックスすればそれでよく、それすらも別に彼にとっては良いものでも何でもなかったんだ、ということ。
そういう、エリザベスにとっては何のプラスにもならない相手なのだけど、エリザベスはその彼が呼んだら、たとえどこへでも今すぐに駆けつけるのだと言う。
だって愛しているから、惚れているからと。
どうにもならない対象を、それでも追っかけてしまうという点において、ここへきてエリザベスとラリーの姿はピタリと重なる。
ラリーもここで、俺は男だろうが女だろうが煙草の匂いだろうが酒だろうが、美しいものに酔ってきたんだ、と言う。
美しさそれ自体は、決して手に入らないもの。
それでも、美しさに惚れてしまったなら、仕方ない。
死ぬまでそれを、訳も分からないまま追っ掛けるしかないんだ。
惚れられた人のつれなさって、その人が冷たいからじゃない。
あなたが見ているのはあたしではないことが。
あなたが追っかけているのは私ではないことが、惚れられた当人にはよく分かるからだ。
あなたは、具体的なこの私ではなくて、私が媒介する、もっと根源の何かに衝き動かされているだけ。
だから、惚れられたって、本当はその人はどうにもしようがないのだ。
惚れるってことはじゃあ無意味なのか。
そこには希望が何にもないのか。結局その感情は当の相手とも無関係で、本当に繋がることができないならば。
いや、何かに惚れることこそ、その人の生を完全に決定する。
何かに惚れて惚れて惚れ抜いたことが、その人の人生の道筋を決定する。
生き方を決めてしまう。
ラリーの、無駄の多い、長いおしゃべりは。
自分が何に惚れて生きてきたかの、完璧な自己紹介だった。
それを生前葬までにきちんと用意するのは、並大抵のことではない。
私もまた、「別の形で」この主人公のことを愛している。