<4062>「所感(416)」

 惚れるってなんだろうね。

 

longride.jp

 今日は品川の映画館で『ブルームーン』を観た。

 

 まだ多分公開されたばかりで、ネタバレを沢山書くのでご了承ください。

 

 まあ、あんまりネタバレとかがない映画だとは思うけども。

 

 

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 最初はね、まあとにかく見ているのが辛い感じ。

 

 主人公のラリーが哀れで、哀れで。

 

 弔辞を読むのはやめてくれ、みたいなジョークをラリーはさんざっぱら飛ばすんだけど。

 

 本当にもう、仕事からも背かれ、女の人も得られず。

 

 さながら生前葬の様子。

 

 でも不思議な映画だった。

 

 最後まで通して観ると、その哀れさも、全てようやっとるに回収されてくるというか。

 

 ラリーはね、惚れて惚れて惚れ抜いた人だってことが、最後に一遍に分かるんですよ。

 

 それは愛する女性に、じゃない。

 

 美しさ、美しいものに惚れて、惚れ抜いて、それに殉じた人生だったんだ。

 

 ラリーはね、あそこが生前葬の場だとちゃんと知ってて、最後まで見事にやり切ったんだよ。

 

 そういう感想になる。

 

 最初の方で、見ているのが辛くて耐えられないと思ってたのが嘘みたいだ。

 

 

 一番好きだったシーンは、最後の方の、ヒロインのエリザベスとのふたりきりのシーン。

 

 エリザベスが、男としてではないけど、ラリーのことを愛し、尊敬していたのは本当だったんだな、と思えたのは。

 

 ラリーに対して、かなり優しく、丁寧に、自己開示をしていたから。

 

 不可思議な、妖しい魅力を持った、掴みどころのない才能あふれる美女を演じ切って、ラリーを煙に巻き、惑わせ続けることもできただろう。

 

 でもエリザベスは、ラリーに全部の種明かしをした。

 

 男の匂いに勃起し、流れでのセックスで惨めに失敗し、意中の彼は全くエリザベスを見ておらず、緊張もしておらず、日を空けてまたセックスのやり直しをしても、全然彼の気持ちはエリザベスに向かわず。

 

 その後に至っては、一度も彼から連絡がこないのだと。

 

 要するに、エリザベスとは一回セックスすればそれでよく、それすらも別に彼にとっては良いものでも何でもなかったんだ、ということ。

 

 そういう、エリザベスにとっては何のプラスにもならない相手なのだけど、エリザベスはその彼が呼んだら、たとえどこへでも今すぐに駆けつけるのだと言う。

 

 だって愛しているから、惚れているからと。

 

 どうにもならない対象を、それでも追っかけてしまうという点において、ここへきてエリザベスとラリーの姿はピタリと重なる。

 

 ラリーもここで、俺は男だろうが女だろうが煙草の匂いだろうが酒だろうが、美しいものに酔ってきたんだ、と言う。

 

 美しさそれ自体は、決して手に入らないもの。

 

 それでも、美しさに惚れてしまったなら、仕方ない。

 

 死ぬまでそれを、訳も分からないまま追っ掛けるしかないんだ。

 

 

 惚れられた人のつれなさって、その人が冷たいからじゃない。

 

 あなたが見ているのはあたしではないことが。

 

 あなたが追っかけているのは私ではないことが、惚れられた当人にはよく分かるからだ。

 

 あなたは、具体的なこの私ではなくて、私が媒介する、もっと根源の何かに衝き動かされているだけ。

 

 だから、惚れられたって、本当はその人はどうにもしようがないのだ。

 

 

 惚れるってことはじゃあ無意味なのか。

 

 そこには希望が何にもないのか。結局その感情は当の相手とも無関係で、本当に繋がることができないならば。

 

 いや、何かに惚れることこそ、その人の生を完全に決定する。

 

 何かに惚れて惚れて惚れ抜いたことが、その人の人生の道筋を決定する。

 

 生き方を決めてしまう。

 

 ラリーの、無駄の多い、長いおしゃべりは。

 

 自分が何に惚れて生きてきたかの、完璧な自己紹介だった。

 

 それを生前葬までにきちんと用意するのは、並大抵のことではない。

 

 私もまた、「別の形で」この主人公のことを愛している。