<4053>「所感(412)」

 静寂とまた共にあれるようになってきた。

 

 集中力が回復してきた。

 

 『奪われた集中力』という本を読み始めたこともきっかけのひとつだが。

 

 やはり、頑張ることを諦めたり、自分ではない何かになろうともがいてきたことの終わりが来たのが大きい。

 

 頑張ることを諦めるとは、自分が頑張っていなくてもできることは何かを静かに見極めることだ。

 

 見極めると、実はそんなに沢山のものを抱える必要がないことが分かる。

 

 と同時に、見極めてなおのち私に残された、「できること」の多さを知る。

 

 まあ、ただ知るだけではなく、自分でなくなる経験を複数経過してくる必要があったのだろう、つまり時間と経験が必要だったのだろうが。

 

 それを経て、おそらく私は、昨日ちらっと書いたようなイメージを軽く掴みかけるようになった。

 

 今までは、いつ死んでもいいようにいつ死んでもいいように、で。

 

 1日1日を最後と見定めて生き切る、みたいな感覚だったんだけど。

 

 今は違う。

 

 私が自分の輪郭を把握し始め、諸々を見極めた後は。

 

 揺るぎのない土台が、ググ、ググと鈍い音を立てながらゆっくりと盛り上がっていき、それが途切れることがないような、生の感覚に変わった。

 

 つまり、今日で終わり、明日はない、とかではなく。

 

 今日とか明日とかそんな区切りではなく、未来へ向かってゆっくりと自分という人間がひろがっていっているようなイメージを持てたのだ。

 

 それはどこかで死とともに止まるのだろう。

 

 でもそんなこと、関係ないという気持ち。

 

 止まるなら止まりましょう。

 

 でもそれまではずっと膨らんでいく。

 

 ゆるやかに。

 

 不思議なもので、余分なものをカットして、荷物を減らした後に、逆に今度は自分というものが膨らみ始めた。