<4015>「所感(394)」

 葬式の面白さ、なんて言うと、人が死ぬのを喜んでいるみたいになるけど。

 

 もちろん、人が死ぬこと自体に面白さを感じている訳ではなくて。

 

 生きているあいだ、ひとりとは思えないほどに多様だった一個体が、死んだことにより急速に一個の肉体に全て帰ってくるその流れをこそ、面白いと思っているのだ。

 

 次から次へと現れてくる、この、知らない人たちの群れはなにだ。

 

 これらの関係を本当に、ひとりでこなしてきたというのか。

 

 

 私は現在進行形で生きている人間なので。

 

 しかもある程度年数が重なってきているので。

 

 どんどんどんどん私が、バラバラになっている。

 

 分裂して、どこにでも当たり前みたいな顔をして現れるようになっている。

 

 その目まぐるしさ多様さは、どうしようもなく、愉快で、悲しい。

 

 

 あの人は良さそうな感じだったけど、他にもいろいろ面接を受けているらしいから、来てくれるかどうか、分からないねえ。

 

 前の職場でマネージャーなどが話しているのを小耳に挟んで、当時の私は、えーっと驚いたものだ。

 

 職場を移るなら、本命1本受ける形にして、駄目だったら次っていうようにしないと、相手方の会社に失礼じゃないかな、と。

 

 今時を経て私はその面接者と同じ立場になっている。

 

 恋愛は必要ないし、要らないと思って生きてきたけれど、会社関係で、こんなに沢山の恋愛疑似体験をすることになろうとは夢にも思わなかった。

 

 相手方に何にも悪いところはないのに、むしろ良いのに、身体が一個であるというどうしようもない事実のため、いろいろな場所で、相手を振らなければならないこと。

 

 人を口説くという行為の持つ力。

 

 私は決意を固めた、と思っていても、面と向かって熱意を持って口説かれれば揺れに揺れる。

 

 成立の話の裏で、淡々と、お互いに怒りを底にひた隠しながら進む、別れの事務作業。

 

 

 そういう非情なことをして、何とも思わないんですか、良心が痛まないんですか、を、悲しいかな一個ずつ実践して、クリアしていくのが大人だって気がする。

 

 子どものとき、大人のそれらを掴まえて批判するのは、今考えると簡単な技だったなと思う。

 

 なにも経験がないという無敵の立場から相手をこきおろす。

 

 そういうことする大人って、最低って。

 

 

 モテるというのは自分とはあまり関係がないと考えると楽かも。

 

 諸々が熟したタイミングで勝手に旬がきて、それらは次第に勝手に失われていく。

 

 だから、モテることに対して調子に乗っていても意味ないし、モテないということで落ち込んでいても意味はない。

 

 ただ自分のできることをなすだけ。

 

 時にはやむをえず非情になることを覚悟しながら、生きていくだけ。