アマプラにて鑑賞。
ちょっとまあ所感でも何回か書いていることに関連して。
ものを減らす参考になるかなあと思って観てみた。
自分の持ち物を全てトランクルームに預けて(ゆえに初日は裸! そこまでやるのはすごい)。
1日に1個だけものを取り出せるというルールで暮らす、という実験モノ。
さてどんな感じなんだろうと見ていたら早々にそのルールはぐずぐずになっていく。
破る訳ではないんだけど、1日1個取り出すのがうっとうしくなって、何日か後にまとめて取り出す、みたいな流れになる。
ものがどこまで必要でどこから要らないかを厳密に見極める実験というよりは。
人生において、主に恋愛的に挫折し、全てが嫌になった人が。
ちょっと過激な実験をしてみて、おいおい本当に大丈夫か、と心配になって訪ねてきてくれる友達や家族との関係性を結び直し、人生の意味を見出し直し、最終的に結婚できそうな恋人に出会う、っていう、ローカルコミュニティの確かさ、強さ、コミュニティの一箇所(この場合は主人公)が損傷したときに、周りが即座にカバーして補うという、修復能力の具体例を見た、という思いのする映画だった。
あんまりモノがどうとかは、関係なくはないけれど、ちょっと自閉的にものを見る癖のある私には物足りない映画となった。
主人公は人間的には至極まともであり(映画のための実験なんか途中でどうでもよくなったり、友達と会って話したり恋人と出会ったり)、自閉的観点から見ると失格である。
自閉的観点から見て失格である、という意味は、実験が定めた字義通りに行われていない、という意味である。
映画の間私はずっと、何故、1日に1つだけものを取り出して、それを記録として見せてくれないのだろう、という不満を抱きながら見ていた。
私ならどうしたか、あるいはきっとそうしただろうと思うのは。
ルールを決めたら、その通り忠実に実行していたであろうこと。
それで、紙に書くか映像に残すかして、1日目には何、2日目には何を持って帰ったか分かるようにするだろうこと。
プラスアルファするなら、その理由も全部に添えるだろうこと。
そういうことを思った。
まあしかし、何かが字義通りに進まないと気持ち悪いというのは、私の自閉的癖であり、この映画の主人公がそれによって責められるいわれはないので、これは私だけの不満であっていい。
映画とは関係ないが私は日課をいくつか持っていて。
手帳はバーチカルのものを使っている(時間軸が分かるもの)。
そうやって、自己を課題で、時間で管理していくのが一番快適だからそうしている。
でも大概の人はそうではないだろう。
映画の主人公の、だらっとしたまともさに触れて、ちょっと軽くショックを受けるなどした。
キチキチの自閉的実験映画が見たい。
何かありますかね。