<3994>「所感(384)」

 目や耳の実存センサーってすごい。

 

 本が読めないなあ~人の話が入ってこないなあって軽悩みすることがたまにあるんだけど。

 

 どうも実情はそうじゃないっぽい。

 

 自分の実存に関わらないものはノイズとして省いているだけなんだ。

 

 本とか、動画とかだらだらと、別に興味ないけどなんか触れとくか~ぐらいで関わってても、実存に触れる箇所にくると、急にグッとスイッチが入って集中モードに変わる。

 

 のめりこむ。

 

 だから、あんまり本読めないとか話入ってこないとかで悩まなくてよくて。

 

 ただ実存センサーが反応してないだけっていう、それだけのことみたい。

 

 

 『独学大全』とかで、勉強の継続についていろいろ書かれている。

 

 まあ牛のようにゆっくり進むしかないっすよとか。

 

 stay foolishであらねばずっと先へは行けませんよね、みたいな。

 

 なんでそんなことを思い出したかというと。

 

 最近、勉強に対するイメージの劇的な変化が起こったからで。

 

 毎日勉強するとか、資格取るとかって、それによって上に上に伸びていくイメージを持ってたんだけど。

 

 そうすると成果がなかなか見えないとか、いまいち上に伸びてないとかで焦るんだけど。

 

 勉強ってそうじゃなくて、やることによって黙って土台が強化されていったり、整えられていったりしている類のものなんだ、ということに気がついた。

 

 だから平常時に、変わらず継続していたところで、成果は見えないし、上に伸びているかどうかもほとんど確認できない。ここらへん『独学大全』の教えっぽいよね。

 

 でもこけたとき、失敗したときに、自分でも気がつかないうちに、いかにそれら勉強が、自分の強固な土台として育っていたかについてはじめて気がつく。

 

 勉強は、上に行くためにするものというより、どちらかというと地盤強化なんだ。

 

 あるときふいに転んだとき、その成果は初めて自分の姿を見せる。