<3992>「所感(383)」

 自分を可哀想がるのが段々難しくなってきた。

 

 もちろん比喩ではあるが、自分という人間を通すために、人を刺し、血をだらだらと流させた経験が増えてゆくと。

 

 どうして私だけがいつもこんな目に遭うの、という内的な声が、鳴りを潜めるようになる。

 

 というか消える。

 

 人を刺し、血を流させた経験が増えれば増えるほど。

 

 こいつあ、いつ刺されてもおかしくねえ、という覚悟もどんどん深くなる。

 

 もう、とっくに私の生は綺麗事ではない。

 

 人の恨みや憎しみを、複数買ってきている。

 

 刺されて、諸々のことが突然ぶった切られる、ということも前提に容れて、生きていくのが当然だという気分だ。

 

 あなたは加害をしてましたよね、という問いに対して、一切の言い訳をしないこと。

 

 その通りだから。

 

 他に何か言うこともないから。

 

 

 せめてじゃあ、今後の加害をやめようか、とは私は考えない。

 

 私は、それが滅びの道に通じているとしても、自己の業を、私という人間を、通すときは通す。

 

 命をそこにあけひろげて。

 

 納得いかない場合は刺してもらって大丈夫です、という気持ちで。

 

 私を通すときは通す。

 

 

 喧嘩をする。

 

 ただしむやみやたらにするのではなく、必要なときだけ。

 

 そして、実情は喧嘩でも、大人の喧嘩のマナーとして。

 

 低姿勢、丁寧な言葉遣い、誠実さ、は崩さない。

 

 声を荒げて、暴力をふるって喧嘩するのは子どもの喧嘩だ。

 

 静かに、礼儀を保ちつつ、刃を入れる。