<3990>「所感(382)」

 ①会社が搾取をしているとかって話ありますよね。

 

 人間を駒のように使って、要らなくなったら捨てる、式の語られ方をする。

 

 しかしいろいろ経験してみて実感するのは、確かに会社が搾取しているってのはその通りかもしれないけど、実は私の側からも会社に向けて搾取を行っている、ということで。

 

 撤退することにはそれなりの理由はあれど、しかし得させてもらった経験とか勉強させてもらったこととかを、がっつりそのままヨソで使ったりするわけだから。

 

 どちらかが一方的に利用している訳ではないというか。

 

 そういう感覚。

 

 思いの外、生々しいというか、双方による身の削り合い的な部分が結構あるな、会社生活って、と感じている。

 

 恩恵と搾取。

 

 会社は働いてくれる人がほしい、労働者は働く場所がほしい。

 

 そういう面から見れば、会社も労働者も、お互いに恩恵を与えあっている訳で。

 

 一方、会社は歯車のパーツがほしい、労働者は次へのステップアップ、土台作りのための経験がほしい、という面から見れば。

 

 お互いに搾取し、削り合っている。

 

 社会はドライな場所なんだよ、と教えられて、それをそのまま字義通りに信じてたけど。

 

 私が体験したことの数々は、ちょっとドライとは違う。

 

 会社周りは、明確に愛と憎が渦巻いている。

 

 社会は、ドライなんじゃなくて、そうしなければいけないと思って、皆がそう努めてる場所なだけなんだと感じる。

 

 飲み会とかに参加すると、感情ダダ漏れでビビる。

 

 特に辞めるときなど。

 

 私はいつ、どのタイミングでこのような人様からの愛や憎を獲得したのだろうと、ただただ驚くばかりだ。

 

 普段の会社での姿とまるで違うではないか。

 

 普段は抑えているとか、そんなことは分からず、態度も字義通りに受け取ってしまう癖があるので、飲み会とかいっつも驚きの連続。

 

 なんかいつもは塩対応で、やめてほしいと思われてると思ってたのに、みたいな。

 

 

 ②言葉を字義通りに受け取る癖について

 

 過去にも、自分にとって重要なトピックだから何回か書いてるんだけど。

 

 誰もあなたのことに興味ないよ、という言葉をそのまま字義通りに受け取って、うっひょーラッキー自分に没頭できる!と思ってたら実際はめっちゃ絡まれて、話が違うじゃん!ってなったり。

 

 →分析すると、実は興味ないってのは、普通の人がめっちゃ自分のことを知ってほしくて自己開示して喋るんだけど、そんなもの他人は大して興味持ってないよ、って意味で言われてるんだと理解し、興味ないを字義通りに受け取って自己の世界に遊んでいる人間は悪目立ちするので逆に絡まれるっぽいと分かった。

 

 自由恋愛という言葉を字義通りに受け取って、ってことはやんなくていいってことじゃんね、と思って実践してたら、実際は半強制、人間の義務に近いものとしてあって、やらない自由はかなりそこに含まれてないっぽくて、罰則こそないものの、やらないと激詰めされるってことが多々あったり。

 

(これが分かったとき、「なんとなく」付き合うとか、「とりあえず」付き合うとか、「好きな人をとりあえず作る」とかって世間の人が言ってた意味がようやく分かった。仕事を果たしている感覚だったんだ。そういう意味で言うと私はこの仕事をしていないので、サボりという責めを受け続けることになっていたんだ)。

 

 やめちゃえ、お前なんかいらない、という趣旨のことを言われて。

 

 あ~そうか、なんとかやってみようと思ってたけど俺はいらないのか、やめるしかないんだな、と思ってやめると、何でやめんだよって怒られたり、周りの人が落ち込んでてお通夜ムードになってて、めっちゃ困惑するとか。

 

 これ少年野球のときとかもあって、へたくそやめちまえって言われるから、あ、そうか、じゃあもう行かないようにした方がお互いのためだろうと思ってそうしてると、意地でも引き戻されたりするの、あれなんなの。

 

 やめてほしくはないのにやめちまえって逆のこと言うの、あれなんなの。

 

 なんのためなの。分からない。いまだにわからない。

 

 それであんまり苦しくて、自分で調べてたら、言葉を字義通りに受け取って世間とズレるのは自閉の症状のひとつっぽいことが分かった・・・。

 

 自閉症なのかもしれない、私。

 

 追い込まれて追い込まれて、結果段々自分の核というか、本丸に近づいている感。

 

 自閉症ちょっと本読んだりして勉強してみる。

 

 

 ③頂点論

 

 角幡さんの『43歳頂点論』前に読んだけどさ。

 

 経験と、肉体の衰えの交差点みたいな話。

 

 生きていると、全てがあまりにも速く流れていて。

 

 それら全てがあまりにもあっけなく終わってしまう、という経験を度々することとなる。

 

 無常を感じずにはいられない。

 

 昨日とかも所感で書いたけど、本当人生訳分からん。

 

 お前、俺が人生の全てみたいな顔してたじゃん。

 

 あっという間に流れちゃうのかよ、終わっちゃうのかよ。

 

 もう私の人生に全く関係なくなっちゃうのかよ。

 

 無常の速さ虚しさ。

 

 一方で、そういう劇的さにさらされ続けて、虚しさにもなれて、経験も増えて。

 

 動じること自体が減っていくと。

 

 人生に慣れて、いろいなことがスムーズにできるようになる。

 

 その、マイナスプラスのちょうどよく交わる場所に、私の頂点はある気がしている。

 

 虚しさと慣れとの極まりに、私の頂点が。

 

 だからきっと、頂点って、無傷でそこに着くわけじゃなくて、多分訳なんか分からないまま、もっと混乱したまま、全体的にもっと冷めていて、かつ血だらけのまま到達する場所なんだって、今のところそういうイメージを持っている。

 

 綺麗に愉快に辿り着く場所ではないような気がしている。

 

 ④自分由来の地獄

 

 言葉を字義通りに受け取るって話と多分に関わって来るんだけど、仕事で上手く行かないパターンというか、上手くいかない仕事、地獄の苦しみを味わう仕事の特徴がはっきりと分かるようになってきた。

 

 つまり、自分由来の地獄がなんなのか、はっきりした。

 

 苦しいけど、これはかなりありがたい。

 

 ニュアンスとか裁量とか、「適当にやっとく」とかが多いと、明確に地獄。

 

 少なければなんとかごまかせるけど、多いとごまかしようがないから、地獄。

 

 例えば工事とかで、ある一区画を、そこは適当に、自分で考えてやっといてと言われる。

 

 それで、自分で考えてやってみて、結果、そんな風にやっていい訳ないだろと怒られたりする。

 

 最初はいいけど、これが続くと、一体どう動いたらいいのかが全く分からなくなり、ドツボにハマる。

 

 日本語の授業とかも。

 

 学校の方針で、授業のなかでこれとこれとこれをやってください、とかが特になく。

 

 与えられている材料はこの教科書のこのページ、この少ない情報だけです。

 

 さあ、ここからあなたが自由に材料を膨らまして料理してください、と言われると、何をしたらいいのかが分からなくなって、止まってしまう。

 

 誤解なきよう伝えると、これらの指導の方向性が間違っているという話ではなく、このやり方で立派に自分の力を発揮していく人はいくらでもいるだろう。

 

 もしかしたらそれが多数派だからそういう指導なのかもしれない。

 

 しかし、私はそういう、何をしたらいいかが明確に決まっていない、曖昧な状態を、地獄だと感じてしまう人間なんだ、ということがよく分かった。

 

 だから、それが分かったら、過去の経験で上手くいった経験を使うとか、新しく調べるなりして、その地獄を避ける形で生きればいいだけ。

 

 自分の地獄が何に由来するのか、分かっているのと分かっていないのでは大違い。

 

 できないものはできないと認めるところから人間が本当に始まるような気がしている。