<3982>「所感(378)」

 大人になっても何かしらの部活がずっと必要だって話。

 

 部活論ですね。

 

 有り余ってるエネルギーがあったり、人生が順調に進んで軽やかなところへきて、「だから何」感を覚えたりするときに、そのエネルギーを余計なところに向けないようにするってのは大人になっても変わらないんじゃないか、と思うから。

 

 10代の部活みたいなものって大人になっても必要であり続ける。

 

 学生のとき、親がとりあえず子どもには部活に入っててほしいと願うのは、別にそれで一流の選手になれとかどうとか言うことではなくて、それはレアケースで。

 

 大概は、余ったエネルギーで何しでかすかわからんからって部分が相当あると思う。

 

 仕事選びの失敗の始まりも、良い状態にあるときに、当然エネルギーが有り余っていて、それでゾーンに入って軽躁みたいになって、変な方向に努力を向けちゃう、つまり自分が苦しむと分かってる方へ向けちゃうっていうところにある。

 

 だから、こういう直近の手痛い失敗を経て、ちょっと軌道修正を試み、それが完了すると。

 

 おそらくまた、エネルギーが過剰に有り余る状態に身体が置かれる。

 

 そういうときに、仕事で苦しむ方向で代替する、という、人生で二度ほどした失敗を避けるため。

 

 たとえば私なら、勉強、歌、トライアスロンなど。

 

 有り余ったエネルギーに穏当かつ健康な消尽の道筋を与えるようにする。

 

 なぜそんな部活みたいなことをやるかって、有り余ってるエネルギーの良からぬ暴走を防ぐためってだけの理由でいい。

 

 力が有り余ってるとき、何しでかすか分からんのって別に大人になっても同じなんだ。

 

 そういう対処が必要なのは学生時代だけで、自分には関係ないと思っちゃうと、大人になってから何か変なことをしちゃうのではって気がしている。

 

 それら例えば勉強とか歌とか、トライアスロンとか大人になってからやって何になるの、とかはナンセンスな疑問、自問で。

 

 有り余ってるエネルギーを変なことに使わないこと、それ自体が大人の嗜みなのじゃないかしら。

 

 有り余ってるエネルギーを、重みづけ、嫌なこと招び込みとかに使わないこと。

 

 それだけの意味で部活的なものは効果がある。