<3973>「所感(374)」

 

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 存在の耐えられない軽さって本がある。

 

 クンデラさんが書いて、あたしが読んだんだけど、内容は忘れてしまった。

 

 だから全然本当はクンデラさんの想いとは違う話なのかもしれない。

 

 なんか戦争の話だよね。

 

 

 最近よく書いているし、ちょっと前も書いていたんだけど。

 

 得意なこと、普通に何も思わずできることだけで人生を送ってくのって、結構難しい。

 

 なんか、重みを感じられないんだよな。

 

 んで、つい重みを求めてしまう。

 

 重みには当然、嫌なことがつきまとう。

 

 冒頭の動画じゃないけど、嫌なことに耐えることをもって、人生に重みをもたらそうとしてしまう。

 

 なぜならスムースに軽やかに流れている状態って案外きついから。

 

 軽さにはなにか耐えられないものがある。

 

 で、そうやって重み=嫌なことを求めると、ほぼほぼ100%失敗する。

 

 痛い思いをする。

 

 痛い思いをしてから後、当たり前だよなあ、と毎回思う。

 

 

 じゃあ、得意なこと、スーッと何も苦労しないでできることに重みをつけようと思っても、それは無理。

 

 それは言葉の矛盾みたいなもので。

 

 何の重みも感じないから得意なことなわけで。

 

 だからそうじゃなくて、あ、今重みを感じずにできているな、っていうのを、良い方向に進んでいるバロメータにする。

 

 重みは一生感じられないけど。

 

 重みを感じたい一心で、嫌なことを招び込み、それに耐えるという方針を、もう取らないこととする。

 

 転換していく。

 

 頑張るのをやめるって前にも書いた。

 

 スーッと流れている状態は努力不足ではないということ。

 

 軽やかな状態は案外きつく、何も無理しないでも積み上げられることは無数にあるのに、自分自身ではその価値が分からなくなる。

 

 その対処法としては、いろいろな人と雑談することがいい。

 

 普通はそんなことしまへんで、積み上げてる人なんてめったにあらしまへんで。

 

 というのを、あるときは直接言われ。

 

 あるときは、直接言われずとも、間接的に気づくことがある。

 

 自分では何の重みも感じられない積み上げも、他の人にとっては大変な重みであるということがあるんだ、と。

 

 だから、重みは感じられないまま。

 

 重みなど必要のない生へ、価値転換していく。

 

 時間はかかるだろうが。

 

 何せ、しつこいが、軽さはきついので。