<3957>「所感(366)」

 自分になれ、とか。

 

 自分と一緒に居られればさびしくないみたいな物言いがありますよね。

 

 前までは全然分からなかったけど。

 

 自分じゃないものになろうと努力しているときと、自分自身でいるときの差みたいなものが、両極を経験したことによって、よく分かるようになってきた。

 

 自分自身でいられるときって、本当にゆったりと時間が流れている。

 

 遊ぶことによって人間の幅を広げるんだって話、確かに実践してみてその通りだったから無駄ではなかったんだけど。

 

 自分でないものになろうとした運動であったこともまた事実で。

 

 本当はそんな、毎日毎日遊び歩いていることが好きな人間ではない。

 

 家で、「なぜ、なぜ」の種を掘っている時間が、一番充実している時間だ。

 

 自分に還ってこれて、嬉しい。

 

 集中力も少し、あがったような感じ。

 

 ちょっと前に、継続するにあたっては頑張らないことが一番の真摯な態度、というのを書いたが。

 

 仕事とかも、過去を振り返ると、別に続けようと思っていない仕事が実際一番長く続いていて。

 

 自分はここでなにがしかのことを成して、みたいに力み始めると、そのときは気がついていないが、その力み返りが終わりのはじまりであったことが後々分かる、みたいなことは結構ある。

 

 だから、別に、何年この仕事を続けようとか、ずっとこれやろうとか、思わなくていいんだ。

 

 次に準備するべき仕事とかも考えながらで、別にいいんだ。

 

 次の勉強してても。

 

 なんか楽になった。

 

 居場所がここしかない、という焦りは、人間を継続から遠ざける。