仕事の面談とか、家族友達と話してるときとかに。
未来という、まだ存在しない時間について話が及ぶと、いつも不思議な気持ちになる。
未来で、こうなっていてほしいとか、こうなっている予定ですとか。
こうなっていたらいいよね、楽しいよね、みたいな。
そんな未来は、まだどこにも存在しないし、実際に辿り着くことはないかもしれないのに、とりあえず到達できる場所が、本当にその先にあるかのように話していると、どこか現実離れのした、ふわふわした気持ちになる。
一寸先は闇。
明日生きているかどうかだって、本当は分からないんだぜ。
そんな未来の話、一瞬でおじゃんになる可能性もあるんだぜ。
と思いながら、しばらく一日、一日、と思って生きていると、前に話したその理想的な未来の場所に、いつの間にか立っていたりして。
そのときにまた、改めて驚く。
まだ現にないもので、ただ空想していただけの場所に、本当に辿り着いてしまうこともあるんだ、と。
人間の矛盾。
永遠に「今日1日」のなかにいる。だから明日とか、未来とか、本当は存在しない。
そんなものは未来永劫訪れないと知って、生きていかなければならない部分がある。
一方で、未来永劫訪れない場所に向かって、ある計画を立てたり、希望を抱いたりすると。
それをしなかった場合には、決して辿り着かなかったであろう場所に、本当に着くようにできてたりもする。
空想上の、存在しない場所が、いつの間にか、現実の「いま、ここ」になっていたりする。
なんなんだ。
岸見さんは、「いま、ここ」に集中し、踊るように生きよ、と言う。
湯川さんは、目に見えない世界に対する想像力を説いた。
目に見える、ふれられる、きこえる、においのする、「いま、ここ」と。
目に見えず、触れられず、きこえず、においのしない、「存在しない未来」と。
この矛盾する、ふたつを抱え込み、どちらをも活かすのが人間なんだ。
どちらかだけでは足りない。