<3925>「所感(350)」

 仕事の面談とか、家族友達と話してるときとかに。

 

 未来という、まだ存在しない時間について話が及ぶと、いつも不思議な気持ちになる。

 

 未来で、こうなっていてほしいとか、こうなっている予定ですとか。

 

 こうなっていたらいいよね、楽しいよね、みたいな。

 

 そんな未来は、まだどこにも存在しないし、実際に辿り着くことはないかもしれないのに、とりあえず到達できる場所が、本当にその先にあるかのように話していると、どこか現実離れのした、ふわふわした気持ちになる。

 

 一寸先は闇。

 

 明日生きているかどうかだって、本当は分からないんだぜ。

 

 そんな未来の話、一瞬でおじゃんになる可能性もあるんだぜ。

 

 と思いながら、しばらく一日、一日、と思って生きていると、前に話したその理想的な未来の場所に、いつの間にか立っていたりして。

 

 そのときにまた、改めて驚く。

 

 まだ現にないもので、ただ空想していただけの場所に、本当に辿り着いてしまうこともあるんだ、と。

 

 人間の矛盾。

 

 永遠に「今日1日」のなかにいる。だから明日とか、未来とか、本当は存在しない。

 

 そんなものは未来永劫訪れないと知って、生きていかなければならない部分がある。

 

 一方で、未来永劫訪れない場所に向かって、ある計画を立てたり、希望を抱いたりすると。

 

 それをしなかった場合には、決して辿り着かなかったであろう場所に、本当に着くようにできてたりもする。

 

 空想上の、存在しない場所が、いつの間にか、現実の「いま、ここ」になっていたりする。

 

 なんなんだ。

 

 岸見さんは、「いま、ここ」に集中し、踊るように生きよ、と言う。

 

 湯川さんは、目に見えない世界に対する想像力を説いた。

 

 目に見える、ふれられる、きこえる、においのする、「いま、ここ」と。

 

 目に見えず、触れられず、きこえず、においのしない、「存在しない未来」と。

 

 この矛盾する、ふたつを抱え込み、どちらをも活かすのが人間なんだ。

 

 どちらかだけでは足りない。