いつ死んでも大丈夫、という覚悟と。
早く死にたい死を前提として生きたい、は微妙に異なるんじゃないかってのが。
三島さんのことを想うときに一番手前にせりだしてくるテーマで。
これは、三島さんに対する批判とかいじわるな気持ちとかではなく。
自分も、その危うさに転落してしまいそうになるのを十分に感じているからこそ、そのことが気になるのだ。
そういう意味で自分の生き方というのはだいぶ危ないぞ、怪しいぞ、という気分がある。
セックスとかそういういやらしいことが大好きなのも。
このまま快楽の溶け合いのなかに入ってそのまま終わってしまいたいって欲望が、どうも根本にあるような気がする。
楽しい思い、良い思いをしたから、もう私はいつ死んでも大丈夫、後悔はないって姿勢で生きていくことと。
もう楽しいこと、良い思いをし終わったから、いいや。
もう終わりでいいですって気分と。
何か境目がないような気がする。
それがすごく静かなこわさを作っている。