<3870>「所感(323)」

 一週間前くらいにもちらっと書いたけど。

 

 今日もまた、半年前にはボロボロだった事柄が、今では普通にできるようになっていた、という出来事にぶつかる。

 

 それで、己の不安が解消され、喜びに繋がったかというと、別にそういうことは何もなくて。

 

 ここ最近しばらく実存が揺すぶられる話とかもしてきたけど。

 

 何かができなくて不安とか、何かが苦手だから不安だとかいうのは、全てフェイクだ、という事実に辿り着いただけだった。

 

 それは大きな辿り着きではある。

 

 皆が皆そうかどうかは分からないし確かめようもないが、私には内界があり、そこには言葉も音も映像もなく、ただ感情に似た何か複数のうねりがあるだけ。

 

 そこでは、現実の出来事とは全く関係がなく、気持ちが最下方まで引っ張られたり、平常に戻ったり、上がったりする。

 

 それはそれで別にいいのだが、そういう身体とともに生きてきたから。

 

 何の脈絡もなく最下方まで引っ張られて沈んでいるとき、現実の、ネガティブに見える出来事に、原因をおっかぶせて処理しようとする私の、いわば自動運動がある。

 

 そうでもしないと、ただ最下方まで引っ張られているという事実に耐えかねるのだろう。

 

 しかし、前述したように、現実の出来事が関係していると決めつける私の運動は、全てフェイクだ。

 

 現実は、私を揺らさない。

 

 私を揺らすのは、内界と、実存だけなのだ。

 

 犯人捜しのような、しょうのない行為をしないで、その事実をただ受け容れること。