<3852>「所感(314)」

 人間は総合体。

 

 なので、興味がなかったり、興味があったり。

 

 絶対に成し遂げたかったり、別にそんなことどうでも良かったり。

 

 嫌なこと言われたくなかったり、でも言われないと進まないから言われたかったりするとき。

 

 「本当の自分はこうなんだ」と、どっちかにフォーカスすると、間違う。

 

 本当は何にも興味がないんだとか、何にでも興味があるんだとか、そういう局限的な自己規定の仕方自体が間違いで。

 

 興味のなさも、興味もあり。

 

 興味がある事柄のなかに、興味と興味のなさがあり。

 

 興味のない事柄のなかに、興味と興味のなさがある。

 

 そういう、全てを含んだ総合体としての姿が人間の本質なんじゃないか。

 

 朝家を出るとき、また今日も活動出来てうれしいとか心底めんどくさいとか、やる気がないとか別に興味がないとか、空気が澄んでて気持ち良いとか、いやらしいことを考えて楽しいとか、その全部を引き連れていく。

 

 どれかにフォーカスしない。

 

 

 私のなかには全部ある。

 

 私はそれらの総合体だ、ということを把握すると。

 

 不思議に私が消えるような感覚になる。

 

 思いや感覚という現象の種々多様体が、身体という穴をひっきりなしに通過しているようなイメージだ。

 

 そこに私はいない。

 

 そして、総合体を総合体としてきちんと捉え直した身体は、驚くほど静かだ。