人間は総合体。
なので、興味がなかったり、興味があったり。
絶対に成し遂げたかったり、別にそんなことどうでも良かったり。
嫌なこと言われたくなかったり、でも言われないと進まないから言われたかったりするとき。
「本当の自分はこうなんだ」と、どっちかにフォーカスすると、間違う。
本当は何にも興味がないんだとか、何にでも興味があるんだとか、そういう局限的な自己規定の仕方自体が間違いで。
興味のなさも、興味もあり。
興味がある事柄のなかに、興味と興味のなさがあり。
興味のない事柄のなかに、興味と興味のなさがある。
そういう、全てを含んだ総合体としての姿が人間の本質なんじゃないか。
朝家を出るとき、また今日も活動出来てうれしいとか心底めんどくさいとか、やる気がないとか別に興味がないとか、空気が澄んでて気持ち良いとか、いやらしいことを考えて楽しいとか、その全部を引き連れていく。
どれかにフォーカスしない。
私のなかには全部ある。
私はそれらの総合体だ、ということを把握すると。
不思議に私が消えるような感覚になる。
思いや感覚という現象の種々多様体が、身体という穴をひっきりなしに通過しているようなイメージだ。
そこに私はいない。
そして、総合体を総合体としてきちんと捉え直した身体は、驚くほど静かだ。