<3846>「所感(311)」

 『劣等感~』話、引き続きで言うとね。

 

 負のエネルギーでどこまでも、は進めない。

 

 それは自分の神経をもジリジリと詰めてるから、最後には自滅すると。

 

 一方、例えば王虎にしろ、鯉太郎にしろ、トルフィンにしろ。

 

 そもそも出発点に、その強烈な負のエネルギーがなければ、何かが足りない、あと一歩惜しいところまでは来ている、っていう場所にすら辿り着かない、という事実もまたあって。

 

 だから、最後までそれで押していくことはできないから、どっかで気づいてエネルギーの転換が必要になるのはそうなんだけど。

 

 負のエネルギーがかつて強烈であったこと自体は、ギフトだったんだ、とも思うようになった。

 

 ギフトは、必ずしも自分に心地の良い状態で届けられるとは限らない。

 

 それこそ、実存が揺すぶられるような出来事って、その瞬間はとても苦しく、嫌なものだ。

 

 でもそれで、後々目が開かれることを考え合わせれば、それらの出来事は紛れもなくギフトだ。

 

 もらった瞬間はつらく、不愉快でもあるものが、ギフトになる。

 

 多分、同じような生育環境に居ても、負のエネルギーがそこまで怪物級に大きくなるかどうかは、個人差があると思う。

 

 だから、危なっかしいけど、紙一重だけど、使いこなせたら、んで、使いこなせたうえで、それの限界に気づけて、途中で転換出来たら。

 

 スタート地点でもたらされたそれら負のエネルギーは、結果的にとんでもなく大きなギフトとして姿を現し始める。

 

 それを実感する。

 

 確かに、欠乏動機、寂しさ、埋めがたい所属感の欠如から、私は強迫的に努力していたかもしれない。

 

 しかし、そういう環境を、ある意味怪物への道筋として、使わせてもらったのもまた事実だ。

 

 

 そいで、本に出合ったり漫画に出合ったりして、ああ、怪物を目指す旅は、途中で向きを変えて、人物を目指す旅に、転換する必要があるんだな、ということを学んだ。

 

 怪物ではなく、人物に。

 

 森田正馬さん言うところの、凡人の大きなものに。

 

 円満の極致に。