<3830>「所感(303)」

 

 

 実存にまっすぐぶつかってくる本がまたひとつ増えた。

 

 ちょっと前の所感から何回か書いている、『劣等感はあなたのせいではない』がそれだ。

 

 最初はkindleで読んでいたのだが、読んでいると居ても立っても居られず、文庫で買い直した。

 

 こんなに赤線を大量に引っ張っているのは、江藤淳さんの『決定版 夏目漱石』と、橋本治さんの『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』以来だ。

 

 子どもの頃にあって、しんどくて封印してきた思い出の数々を、全部開かれて、身体中切り刻まれているような読書は本当に久しぶりだ。

 

 なぜそこまでするか。

 

 人間が生きていくのに、技術と実存のふたつはちょうど両輪で。

 

 技術だけ得ても、実存の方面で克服していないことがあれば、結局また同じようなコケ方をして終わることが、分かりすぎるほどに分かってしまったからだ。

 

 実存の面で克服しなければならない領域まで、技術を磨くことで何とかしようとするのは、『劣等感はあなたのせいではない』で書かれているように、間違った努力なのだろう、ということが、よ~く分かってしまった。

 

 上記ツイートの引用ではないが、追い詰められきったのだろう。

 

 だからわざわざ傷をえぐるような読書をしている。

 

 しかしその、向き合いたくないものに向き合うという行為自体が、ずっと拭えなかった焦燥感を拭う当のものであったことには心底驚いている。

 

 やる意味は大いにあった。

 

 直近でも、随分前でも、何度か書いているはずだが、私は、ひとたびある領域で認められると、苦しくなり、その築き上げた全部を振りほどきたくなってしまう。

 

 それが、家族的なもののトラウマから来ているのは間違いない。

 

 それを、ほどきに行かなければ。

 

 私は、退場を重ねに重ねた結果として、そろそろ行き場を失ってしまう。

 

 だからここで根源に潜り、なんとかそこで苦しんで、踏みとどまる必要がある。

 

 本はこういうふうにして読むんだよなあという苦しさと、楽しさのなかにいる。