そう、加藤諦三さんは、劣等感というのを軽くみてると、あんた途中で死ぬよって言ってる。
天寿を全うしないで。
だから苦しみの原因になっているものが何なのか。
もうそんなの分かってるよ自明だよと思っても、何度も何度も幼少期に潜って確かめにいく。
その度にプチ解脱を繰り返す。
何回おんなじことを繰り返し書いたっていいんだよ。
ここは俺のブログだ。
負のエネルギーで進むことには限界があり、そのままそれを使えば神経症的に追い込まれるということ。
一員として認められることを渇望し、しかしひとたび認められ一員として迎え入れられると、今度はそれを必死の思いで振りほどこうとすること。
そうしたトラウマ的な一連の動きはどこから始まってるのか。
他にも細々したものが無数にあるが、それらを一々ほどいていかないと、多分三十代とか四十代とかで、神経症的に追い込まれすぎて死ぬのだと思う。
だから強烈な劣等感とか負のエネルギーのとんでもない大きさとか、そういうものにただ暴れさせていないで向き合わないと、その先の生というのは本当に、本当にないのだと思う。
こわすぎる。
だから勇気が必要なんだ。
マインドレスネスの話が本の中に出てくる。
心ここにあらず、目の前の人とのふれあいが発生せず、過去とか想像の世界とかと付き合っている状態。
そういう状態にあるとき、あなたに悪意はなくとも、周囲の人をものすごく傷つけることになる、と書いてある。
うん、そういう場面ばっかりを私は知っている。
そうだろ?
ニコニコ私に向かって話しかけてきてくれた人が、数カ月経つとそれが睨みに変わってて、一体全体何が起こったんだ、またこれか、と思う経験を何回した?
私は何にもしていないのに、同級生にやたらと突っかかられて、訳が分からなくて当時は苦しんだけど。
今ならよく分かる。
お前のこと嫌いとか、興味ないとか、そんなことなら別に大したことはなくて。
そうではなくて、そも私の世界のなかに、あなたは存在しませんという態度、在り方は、たとえ殴ってなくても、暴言を吐いていなくても、相手の存在ごと否定するという形で、徹底的に相手を痛めつけてたんだ、ということが今ならよく分かる。
だから、無数に睨まれるし、無数に突っかかられるのだ。
相手は何とかして私の世界のなかに存在しようとするからだ。
しかしどうしたらよかったの…。
というのも、私のこの離人的な在り方も、そも何かのトラウマから発していたはずだからだ。
だから、それも勇気を持って潜って戻って、ほどきに行かなければならない。
何回もページを閉じて読むのをやめる、そうしないと泣き出してしまいそうだからだ、という読書を久しぶりにしている。