<3826>「所感(301)」

 そう、加藤諦三さんは、劣等感というのを軽くみてると、あんた途中で死ぬよって言ってる。

 

 天寿を全うしないで。

 

 だから苦しみの原因になっているものが何なのか。

 

 もうそんなの分かってるよ自明だよと思っても、何度も何度も幼少期に潜って確かめにいく。

 

 その度にプチ解脱を繰り返す。

 

 何回おんなじことを繰り返し書いたっていいんだよ。

 

 ここは俺のブログだ。

 

 負のエネルギーで進むことには限界があり、そのままそれを使えば神経症的に追い込まれるということ。

 

 一員として認められることを渇望し、しかしひとたび認められ一員として迎え入れられると、今度はそれを必死の思いで振りほどこうとすること。

 

 そうしたトラウマ的な一連の動きはどこから始まってるのか。

 

 他にも細々したものが無数にあるが、それらを一々ほどいていかないと、多分三十代とか四十代とかで、神経症的に追い込まれすぎて死ぬのだと思う。

 

 だから強烈な劣等感とか負のエネルギーのとんでもない大きさとか、そういうものにただ暴れさせていないで向き合わないと、その先の生というのは本当に、本当にないのだと思う。

 

 こわすぎる。

 

 だから勇気が必要なんだ。

 

 

 マインドレスネスの話が本の中に出てくる。

 

 心ここにあらず、目の前の人とのふれあいが発生せず、過去とか想像の世界とかと付き合っている状態。

 

 そういう状態にあるとき、あなたに悪意はなくとも、周囲の人をものすごく傷つけることになる、と書いてある。

 

 うん、そういう場面ばっかりを私は知っている。

 

 そうだろ?

 

 ニコニコ私に向かって話しかけてきてくれた人が、数カ月経つとそれが睨みに変わってて、一体全体何が起こったんだ、またこれか、と思う経験を何回した?

 

 私は何にもしていないのに、同級生にやたらと突っかかられて、訳が分からなくて当時は苦しんだけど。

 

 今ならよく分かる。

 

 お前のこと嫌いとか、興味ないとか、そんなことなら別に大したことはなくて。

 

 そうではなくて、そも私の世界のなかに、あなたは存在しませんという態度、在り方は、たとえ殴ってなくても、暴言を吐いていなくても、相手の存在ごと否定するという形で、徹底的に相手を痛めつけてたんだ、ということが今ならよく分かる。

 

 だから、無数に睨まれるし、無数に突っかかられるのだ。

 

 相手は何とかして私の世界のなかに存在しようとするからだ。

 

 しかしどうしたらよかったの…。

 

 というのも、私のこの離人的な在り方も、そも何かのトラウマから発していたはずだからだ。

 

 だから、それも勇気を持って潜って戻って、ほどきに行かなければならない。

 

 何回もページを閉じて読むのをやめる、そうしないと泣き出してしまいそうだからだ、という読書を久しぶりにしている。