これは、俺の話だ。
最近、たまたま芸人のたつろうさんの、この動画を見つけた。
これが私すぎて、あ~しんどいなあっとなっていた。
コメント欄に。
他人とか外界への無関心は劣等感の症状だと、加藤諦三さんが言っている旨の書き込みがあった。
私は、『劣等感はあなたのせいではない』を読み始めた。
これは、俺の話だと思った。
本を読んでいると時々、こういう、私過ぎる書物に出合う。
私過ぎる書物は、大抵、読み進めるのがしんどい。
しかし、目が離せない。
私は、健康的な努力を知らない人間であることが分かり、ものすごく脱力した。
ここ2、3日で、新しい人間になったとすら思うぐらいの、激しい脱力。
私にとっての努力は、強迫的なもの、恐怖感を伴うもの、そうしなきゃ見捨てられてしまうかもしれないと思ってやるものすぎた。
本に書かれていたのは、劣等感から強迫的に進めた努力は、その人をさらに追い込むという、身も蓋もない事実だった。
成功しようがどうしようが、そういった類の努力で、その人が救われることはまずないと。
・・・。
私は完全に間違っていたと思った。
人間は一度上手く行ったものに頼り切るのだと。
私は、負のエネルギーで、自分をぐいぐいと引っ張ってきた。
そしてそれは飛躍をもたらし、同時に私を神経症的に追い込んでいた。
本当は気づいていた。
でも、このエネルギーを利用してステップアップするのが便利すぎて、悪用の境地に至っていたのだ。
最近、『ヴィンランドサガ』と『バチバチ』にハマっている。
トルフィンも、鯉太郎も、強烈な負のエネルギーでもって、触れたもの皆殺すような目をして、のし上がってきた者たちだ。
だから、感情移入がしやすい。
でも、そのエネルギーでどこまでものし上がるのは限界がある、ということもまたちゃんと描かれている。
一本調子で融通が利かないのと。
加藤諦三さんの考えを借りれば、そういうマイナスの力で上がってきた者は自分をも逆に追い込んでしまうからだ。
そのまま行くと、最後には弱くなる。
それは本当の戦士ではない。
それは力士ではなく、怪物だよ。
そういうことがちゃんと描かれている。
だから、虎城親方は、誰かが王虎を止めてくれることを願っている。
王虎はデモステネスそっくりだ。
相手ではなく、自分が描いた完璧な自分というイメージと戦い、知らず知らず神経をすり減らし、追い込まれて行っている。
自分がかつて不安で、不幸だったという事実をまず認めること。
それが勇気なんだと本の中では言われている。
それを打ち消すために負のエネルギーで猛烈な努力をするのは間違った努力だと。
ああ・・・。
ああ・・・。
自分の痛いところを突かれるのは、ものすごく苦しいことだ。
できれば避けて通りたい。
けど、そこを突かれなければ気づかないこと、新しく始まらないことが無数にあるんだよな。
吉本ばななさんがどこかで、迷いなく幸福を描くことが今の芸術家の真の反逆だと書いている。
幸福。
それから、健康的な努力。
そういうものに、シフトしていきたい。
真に戦う人とは何か、を探す旅は長い。
しかし、そこに剣=負のエネルギーがもう必要ない事だけは確かである。
エネルギーの転換期に来ている。