<3820>「所感(298)」

 人間の弱点にはものすごく個性が出る。

 

 だから、弱点を指摘されると、自分の芯の部分に真っすぐ触られたような感覚になり、ひやっとする。

 

 おそろしい。

 

 

 今日怒られて気がついたんだけど。

 

 私は。

 

 物事に対する興味がないことを指摘されるのを、死ぬほどおそれている。

 

 人に対してもそうなんだけど。

 

 興味のなさが露呈しないように、露呈しないようにしているつもりでも。

 

 底の部分、核の部分というのはなかなか隠し通せるものではなく、簡単に表れてしまう。

 

 

 前にどっかでも書いたのだけど、私は、本音を言えば何にも興味がない。

 

 生きることにも、死ぬことにも、遊びにも仕事にも活動にも。

 

 何にもしたくないってのが土台にあり、それをいわば裏っ返す形でなんでもやってみている、というのが実相に近い。

 

 だから多分周りの人からしたら好奇心旺盛な人に見えるかもしれない。

 

 でもそうじゃなくて、何にもしたくない何にも興味がないことに心底焦っているので、何でも手を出してみているだけなんだ。

 

 それを今日ちょうど指摘されてしまって、怒られてこわかったというより、自分が隠そうと努めている部分に触られてしまって心底冷や汗をかいたという感じだ。

 

 

 ただ。

 

 それで、はいそうです、何にも興味ないです、と暴露してしまうのは愚の骨頂であることはそれなりに生きてきたから分かる。

 

 もっと若い頃ならそうやって本当に言ってしまっていたかもしれないけれど。

 

 そんなことないです頑張りますと言っていく必要がある。

 

 小林秀雄さんが言うように、余計者も断じて生きねばならぬのです。

 

 何にも興味ないです、はいさようなら、という訳にはいかないのですな。

 

 

 こういう人間が、どう生きていくかを模索し続けること自体がもうひとつのドラマだと思って開き直るしかないよ。

 

 ある意味腹をくくる。

 

 全部投げちゃうのは簡単だけどね。

 

 そうする手前で腹をくくる。