<3788>「所感(283)」

 良い意味でも悪い意味でもなくアホなんだ。

 

 良い意味はあれとして、悪い意味でもないというのは。

 

 頭がキレないこと、鈍いことが私の強みであり、弱味でもあると気がついたから。

 

 私は正直何回言われても間違えるし、何回見せてもらっても分からない。

 

 目から鼻へ抜けるようなところがまるでない。

 

 頭がキレない。

 

 それで、わっかんねえなあってなって何回も何回もやっているうち。

 

 気がついたらやり過ぎてて、何かが深く分かったりできるようになったりしてる。

 

 その、何回も何回もやって、やり過ぎることこそが強みなんだ。

 

 

 一言言われて、スッと理解できる。

 

 それは紛れもない強みだ。

 

 ただ、往々にして、一言言われてスッと理解できるときに、それらが深く掘られることはない。

 

 一言言われただけでは分からないというその特徴が、自身の障害にもなり、また、やり過ぎて深くへ進む原動力にもなっている。

 

 

 自分が何かにおいて他人より秀でているとき、それは頭がキレることが理由ではない。

 

 単に、いつまで経っても分からないから知らず知らずやり過ぎているだけなのだ。

 

 それなのに、自分が何かに秀でているとき、それは頭がキレることの証明なのだと今までずっと勘違いしてきた。

 

 実際には頭がキレないので、イメージと現実がぶつかっていつも苦しかったのだが。

 

 実相が腹落ちし、随分と楽になった。

 

 

 わっかんねえなあ、という時間にいることが長い。

 

 もしかしたら、生活の全部がそうかもしれない。

 

 しかしその時間こそが、私を遠くへ運んでくれる。

 

 弱味と強みは同じ場所にある。   

 

 自分が何者なのかを分かりだす過程というのは深い安心感を自身にもたらす。

 

 もう、別の場所に行かなくてもいいんだ、と。