仕事は、人間が、各々ドライに割り切って集まってくる場所だ。
だからこそ、逆に、その人固有の問題がくっきりと浮かび上がる場所にもなる。
抑えるほど、逆に浮き上がってくる。
仕事場に集まる人間を眺める。
病の見本市みたいだなと思う。
私の、かつての若さゆえの誤認は。
仕事場に集まってくる人間は、私以外皆正常で。
だから、私は私固有の病を隠し通さなければならず。
病がどういう形であれ露見すれば、私はもう、そこには居られない。
ただちに正常人の集まりから、退場しなければならない。
と思い込んでいたことにある。
現実は、そうではなかった。
病を持った人が、それが露見したタイミングで、直ちに退場しなければならないのなら。
現場には、本当に誰ひとりいなくなるということ。
それをよく学んだ。
人それぞれの固有の病を持ち寄って。
隠したり、露見したりしながら。
その各々の病の形を鑑みて。
どう処理すれば、あるいはどう掛け合わせれば、その現場でよりよく力が発揮されるのか。
それを創造的に考えることが、仕事であり、社会であるということを、やっと理解した。
病が露見したら、すぐに退場しなければならないと考えていたのは、完璧な間違いだった。
むしろ、己の病が外に漏れ出したところから、社会との創造的な関係性構築を探る営みが、本格的に始まる。