<3770>「所感(275)」 

 仕事は、人間が、各々ドライに割り切って集まってくる場所だ。

 

 だからこそ、逆に、その人固有の問題がくっきりと浮かび上がる場所にもなる。

 

 抑えるほど、逆に浮き上がってくる。

 

 

 仕事場に集まる人間を眺める。

 

 病の見本市みたいだなと思う。

 

 私の、かつての若さゆえの誤認は。

 

 仕事場に集まってくる人間は、私以外皆正常で。

 

 だから、私は私固有の病を隠し通さなければならず。

 

 病がどういう形であれ露見すれば、私はもう、そこには居られない。

 

 ただちに正常人の集まりから、退場しなければならない。

 

 と思い込んでいたことにある。

 

 

 現実は、そうではなかった。

 

 病を持った人が、それが露見したタイミングで、直ちに退場しなければならないのなら。

 

 現場には、本当に誰ひとりいなくなるということ。

 

 それをよく学んだ。

 

 人それぞれの固有の病を持ち寄って。

 

 隠したり、露見したりしながら。

 

 その各々の病の形を鑑みて。

 

 どう処理すれば、あるいはどう掛け合わせれば、その現場でよりよく力が発揮されるのか。

 

 それを創造的に考えることが、仕事であり、社会であるということを、やっと理解した。

 

 病が露見したら、すぐに退場しなければならないと考えていたのは、完璧な間違いだった。

 

 むしろ、己の病が外に漏れ出したところから、社会との創造的な関係性構築を探る営みが、本格的に始まる。