<3764>「所感(272)」

 何か上手くいかなくて落ち込んだりしたとき。

 

 自分を良いよ良いよと褒めて盛り上げたり、逆に何で自分はこんなにダメなんだろうと考えたりすることが、方向は違えど、現実を捻じ曲げる、余計な行いなのだということに身体で気がつき始めた。

 

 じゃあなぜ今までそれをやってきたか。

 

 それをやってしのごうとしてきたか。

 

 そうやって現実を捻じ曲げないでおいて、生のままの現実を受け取ってしまったら、ばったりと倒れてしまうぐらいには自分という存在が脆弱だったからだ。

 

 だから褒めたりけなしたりの捻じ曲げが、防衛として必要だった。

 

 そしてさんざんそうやって防衛したのち、タフになったのと、その防衛の無意味さに気がついたのと、まあいろいろタイミングが重なって。

 

 一切そういうものはやめた。

 

 身体のなかで起こりかけてもすぐ消えるようになり、またひとつ静かになった。

 

 今上手くいかないということに、それ以上の意味はない。

 

 そして今上手く行かないことは、未来でも同じようにそうだということを、意味していない。