言葉のプレゼントをもらったな、と思うときって、褒められたときじゃない。
社会通念として、褒められたら喜べ、となっているから、喜ぶ姿は見せるけれども。
本当の本当を言えば、褒められてもピンと来ず、内心は何も動いていない。
もちろんそれはけなされたり悪く言われたときでもない。
褒めるにせよ、悪く言うにせよ、そこにはどうしても「操作」がつきまとう。
それをすることによって、相手の気持ちが動いてほしい、あるいはそれで相手が変容することで、自分が良い状態に移ってほしい、などなど。
本当に言葉のプレゼントをもらったなと思うときって、褒められたときでもけなされたときでもない。
それは、私が何者であるかにつき、自分でもうっすらとは感覚しているんだけれども、上手く言葉に結晶化しえず、そこらへんをもやもや漂っているものを、すぱっと簡潔に表現して、私に伝えてくれたとき。
ああ、私はこの言葉たちと、下手したら一生付き合うだろうな、と思うというか。
あなたって、こういう人だよね、こういうところあるよねと。
特に何の感動も伴わずに伝えられたとき。
ああ、大きなもの、テーマをもらったな、と思える。
プレゼントだなと思ってそのときは素直に受け取れる。