<3716>「所感(248)」

 言葉のプレゼントをもらったな、と思うときって、褒められたときじゃない。

 

 社会通念として、褒められたら喜べ、となっているから、喜ぶ姿は見せるけれども。

 

 本当の本当を言えば、褒められてもピンと来ず、内心は何も動いていない。

 

 もちろんそれはけなされたり悪く言われたときでもない。

 

 褒めるにせよ、悪く言うにせよ、そこにはどうしても「操作」がつきまとう。

 

 それをすることによって、相手の気持ちが動いてほしい、あるいはそれで相手が変容することで、自分が良い状態に移ってほしい、などなど。

 

 

 本当に言葉のプレゼントをもらったなと思うときって、褒められたときでもけなされたときでもない。

 

 それは、私が何者であるかにつき、自分でもうっすらとは感覚しているんだけれども、上手く言葉に結晶化しえず、そこらへんをもやもや漂っているものを、すぱっと簡潔に表現して、私に伝えてくれたとき。

 

 ああ、私はこの言葉たちと、下手したら一生付き合うだろうな、と思うというか。

 

 あなたって、こういう人だよね、こういうところあるよねと。

 

 特に何の感動も伴わずに伝えられたとき。

 

 ああ、大きなもの、テーマをもらったな、と思える。

 

 プレゼントだなと思ってそのときは素直に受け取れる。